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ビルマ汁とは?益子町の戦後復興が生んだ郷土スープの物語

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戦地の記憶が生んだ一杯のスープ

益子町の食卓に欠かせない「ビルマ汁」は、一人の呉服店主が戦地から持ち帰った、たった一杯の記憶から生まれました。1945年、太平洋戦争の激戦地ビルマ(現ミャンマー)へ出征していた飯塚潤一が、真岡屋ののれんを再び掲げるよりも先に取り憑かれたのは、異国の路傍で啜ったスープの味。帰還後、彼は益子の台所でその味を再現しようと試行錯誤を重ね、やがて町のソウルフードが形づくられていったのです。

カレーにも似たスパイスの香りがふわりと立ち昇り、口に含めば素朴な野菜の甘みがじんわり広がる。その一杯は、遠い異国の記憶と、故郷の滋養が溶け合ったような滋味を湛えています。戦地で彼が出会った味への執着がなければ、このスープは存在しなかったのかもしれない。そんな偶然と情熱の結晶こそ、この地で脈々と受け継がれる理由なのでしょう。

「もおかや」飯塚潤一が再現したビルマの味

栃木県芳賀郡益子町。この地で「ご当地グルメ」として親しまれるビルマ汁は、一杯の汁物が背負う歴史の重みを感じさせる料理です。

戦前、益子町で呉服用品店「もおかや(真岡屋)」を営んでいた飯塚潤一。彼の人生を大きく動かしたのは、太平洋戦争によるビルマ(現ミャンマー)への出征でした。異国の地で口にしたスープの味わいは、終戦後も記憶に刻まれ続けます。復員した飯塚は、もう一度あの味を再現したいと、店の厨房で試行錯誤を繰り返しました。

現地の食材が手に入らない中、身近な素材で独自のアレンジを加え、ついに納得のレシピへとたどり着きます。こうして生まれたのがビルマ汁。当初は「もおかや」のまかない的な存在だったのかもしれませんが、その個性的な味わいは口コミで広がり、いつしか益子を代表するご当地グルメへと成長していきました。

一人の男の戦争体験と、味への執念が一つの郷土食を結実させた。そんなルーツを知れば、スープのひと口ごとに異国の風と故郷の土の香りが立ち昇る気がします。

田町なでしこ会が守る「おじいちゃんの味」

益子町田町で活動する「田町なでしこ会」は、飯塚フミさんと村田裕子さんを中心に、地域に伝わるビルマ汁の味を守り継ぐ女性たちの集まりです。飯塚さんの祖父が生み出したこの汁は、もともと家族の晩酌の締めや小腹を満たす家庭の一品でした。素朴ながら奥行きのある味わいが近所で評判を呼び、やがて会の結成へと繋がっていったのです。

実際に集会所へ足を運び、お二人の調理する姿を見学した方の話では、飯塚さんは寸胴鍋を前に、「おじいちゃんは野菜の炒め加減にうるさかった」と笑いながら、手を休めることなく作業を続けていたそうです。こうした丁寧な手仕事が、単なる家庭の味を地域全体の誇りへと育てていったのでしょう。

いまでは田町なでしこ会がイベントや朝市で提供するビルマ汁は、益子を象徴する味覚のひとつです。かつて限られた食卓でしか出会えなかったこの一杯が、会の地道な活動を通じて町民の共通記憶として根づきました。集会所の台所から立ちのぼる湯気の向こうに、受け継がれる味の重みを見る思いがします。

夏野菜たっぷり、カレー風味の素朴な実力

ビルマ汁の鍋の中には、夏の畑がそのまま飛び込んだような顔ぶれが揃います。トマト、ナス、インゲン。そこにジャガイモ、ニンジン、タマネギを加え、豚肉と一緒にドカッと煮込んでしまう。味付けはカレー粉と塩だけという潔さです。

上三川町立学校給食センターの分量表をひもとくと、豚肉100gに対して水400ml、カレー粉は小さじ1。塩はわずか小さじ2/3。余計なものはいらない。素材が持つうまみを信じた、引き算の調理法ですね。だからこそ、子どもから大人までわけへだてなく受け入れられる素直な味に仕上がります。

実際、この地域では家庭の食卓はもちろん、給食の献立として長く親しまれてきました。「今日、ビルマ汁だって!」と声を弾ませる小学生の姿が目に浮かびます。とろりとしたトマトの酸味、クタッと煮えたナスのとろけるような舌触り。どれもがカレーの風味に包まれて、夏の疲れた体にスーッと溶け込んでいく。素朴だけれど、ちゃんとごちそうなのです。

益子焼の町に溶け込むビルマ汁

益子の細い路地を歩いていると、釉薬をまとった器の美しさに目を奪われることが多いものです。けれど、この町が育んできたのは焼き物だけではありません。食堂の軒先から漂う滋味深い香りもまた、訪れる人を惹きつけてやまないのです。その正体こそ、地元で「ビルマ汁」と呼ばれる煮込み料理。益子焼のどっしりとした鉢に盛られた一杯は、目と舌の両方に、この土地ならではの温もりを届けてくれます。2022年5月、朝日新聞が報じた写真の中でも、飯塚フミさんの手によるビルマ汁が、益子焼の器に収められていました。

もともとは先代が戦地から持ち帰った記憶をもとに、近所の人々へ振る舞った家庭の味です。それが今では、学校給食の献立にも登場するほど町の日常に溶けこみ、複数の飲食店で観光客も味わえる名物へと育っています。さらに「益子のビルマ汁」として商標登録がなされ、地域の財産としての地位を確かなものにしました。土と火が生み出す器と、遠い異国の記憶を宿した汁。一見かけ離れたふたつが、益子という町でひとつの風景をつくっているのです。

一杯のスープがつなぐ戦後と未来

ビルマ汁は、単なる郷土料理ではありません。もおかや(真岡屋)の主人・飯塚潤一が、出征先のビルマで覚えた味をもとに再現し、今は田町なでしこ会の女性たちがその味を守っています。戦争の記憶は辛い。けれども、それを平和な日常の味として手渡し続ける姿に、継承の本当の意味を見る思いがします。

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