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赤いレースが包む、香りの秘密
メース、この名前を耳にしても、すぐにはピンとこない方が多いかもしれません。ところが、ナツメグと聞けば多くの人が馴染みを感じるはず。実は、この二つは同じ果実から生まれる兄弟のような存在なのです。
ナツメグの種子を包む、網目状の赤い皮。それがメースです。鮮やかなレースのようなその皮を乾燥させると、私たちがよく目にする黄褐色の香辛料になります。一粒の種子から、性格の異なるふたつのスパイスが生まれる。自然というのは、時に不思議な仕掛けを用意しているものですね。
メースとは何か
メースは、ニクズク属の種子を包む網目状の赤い皮、つまり「仮種皮」と呼ばれる部分から作られるスパイスです。植物学的には、種子そのものではなく、種子を覆う薄い膜にあたります。
多くの人がメースを独立した植物から採れるスパイスだと考えているようですが、実はナツメグと同じ果実から生まれます。ナツメグが種子の内部にある「仁」であるのに対し、メースはその仁を覆う外側の皮、いわば種衣にあたるのです。
収穫されたばかりのメースは鮮やかな赤色をしていますが、乾燥すると黄褐色のひも状になります。この乾燥過程で香りが凝縮され、特有の芳香が生まれるのです。
ナツメグとの風味の違い
メースを指先で摘み、そっと鼻に近づけてみる。同じ木から採れるナツメグとは兄弟のような存在ですが、香りの立ち上がりは意外なほど異なっています。
日本では「よりおだやかで上品」「柔らかで繊細な風味」と紹介されることが多いですね。一方で英語圏の情報を見ると、”piquant”(刺激的)や”intense”(強烈)といった表現に出会うことがあります。この乖離はいかにして生まれるのでしょうか。
実際に両者を並べて嗅ぎ比べてみると、ナツメグからは濃密で重たい甘みが立ち昇るのに対し、メースは最初にピリッとした刺激が走り、そのあとから花のような繊細な甘い芳香が遅れて追いかけてくる。噛むと、舌の上でほろ苦さがじんわりと広がり、余韻として長く残るのです。
この認識の差は、おそらく使われる料理の文脈に関係しているのでしょう。ナツメグが肉料理の濃厚なソースに溶け込むのに対し、メースは焼き菓子や軽やかなスープに散らされることが多く、相対的に「繊細」と感じられるのかもしれません。文化が風味の捉え方を左右する、スパイスならではの面白さですね。
17世紀の独占から世界へ
古代ローマ時代、メースはすでに並外れた価値を認められていました。贈り物として珍重されるほど高価で、特別な場面でしか手に入らない希少なスパイスだったのです。
時が流れ、中世ヨーロッパに入ると舞台は大きく変わります。富裕層の食卓で、メースは欠かせない存在となっていました。料理に華やかな香りとほろ苦さを添えるその風味は、富と権威の象徴でもあったのでしょう。
ところで、このスパイスがナツメグと同一植物から採れることを、当時の人々は知らなかったと言います。15世紀末から16世紀にかけて東洋への航路が開けた時代、香辛料への知識はまだ限定的でした。
そして17世紀、オランダがこの貴重なスパイスの独占に乗り出します。原産地であるモルッカ諸島のバンダ諸島を支配下に置き、実に150年もの間、メースとナツメグの流通を牛耳り続けました。独占によって価格は高騰し、ヨーロッパ諸国は高値で購入を余儀なくされたのです。
香料戦争と呼ばれる争いの中心に、この小さなスパイスがあったことを辿ると、私たちの食卓に当たり前のようにある香りが、いかにドラマチックな歴史を経てきたのかが見えてきます。
世界の料理で活きるメース
その甘い芳香は、焼き菓子やデザートと相性が良く、小さくちぎりながら使うことで料理に華やかな香りを添えます。
インド料理では、メースはガラムマサラの構成要素として欠かせない存在。クローブやカルダモン、シナモンといった他のスパイスとの相性が良く、ビリヤニのような香り高い米料理に深みを与えます。スパイス同士が織りなす複雑なハーモニーの中で、メースは上品な甘みとして溶け込むのです。
カリブ海地域へ目を向けると、ジャークシーズニングのブレンドにもメースが使われています。スパイシーでスモーキーな味わいの中に、メースの芳醇な香りが隠し味として効いている。地域ごとに異なる使い方を辿っていくと、このスパイスが持つ懐の深さが見えてきますね。
一粒の種に宿る二つの香り
ナツメグの仁が力強く主張するのに対し、メースは繊細で上品な香りを漂わせます。一粒の種子から、これほど性格の異なるふたつの香りが生まれる。
ナツメグの影に隠れがちな存在ですが、その分、メースには独自の立ち位置があります。焼き菓子やスープ、飲み物にふんわりと香りを添える。主役を張るのではなく、料理の奥行きをそっと深める。そんな役割を自然に果たしています。
スパイスの世界を少し覗いてみると、馴染みのある素材の裏側に、まだ知らない風景が広がっていることに気づくかもしれません。