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はじめに
正月のおせち料理に欠かせない数の子。黄金色に輝くその姿は、新年の食卓を華やかに彩ります。プチプチとした独特の食感と、子孫繁栄を願う縁起の良さから、日本人に長く愛されてきた食材です。
数の子はニシンの魚卵を加工したもので、その歴史は室町時代にまで遡ります。かつては北海道近海で豊富に獲れた国産品が主流でしたが、現在では輸入品が中心となっています。それでも、正月には多くの家庭で数の子が食卓に並び、新しい年の幸せを願う日本の食文化を今に伝えています。
この記事では、数の子の定義から歴史、特徴、調理法まで詳しく解説していきます。
初めて数の子を口にしたとき、あの独特な歯ごたえと、噛むたびに響く「プチプチ」という音に驚いたことを今でも覚えています。見た目の美しさだけでなく、食感そのものが楽しめる食材というのは、実はそう多くありません。数の子はまさに「音を食べる」食材なのです。
ニシンの卵が生み出す黄金の食材
数の子とは、ニシンの魚卵およびその卵巣を塩漬けまたは乾燥させた加工食品です。ニシンのメスの腹から取り出した卵巣には、数万粒もの卵が含まれており、これらの卵が相互に結着することで、長さ約8センチメートル、幅約3センチメートル前後の細長い塊を形成しています。
一粒一粒は非常に細かいものの、全体としては一つの塊となっているため、独特の食感が生まれるのです。
現在、日本の市場で流通している数の子は、主に「塩数の子」「干し数の子」「味付け数の子」の3種類に分類されます。かつては干し数の子が主流でしたが、水戻しに時間がかかり色が褐色になるため、現在ではほとんど作られていません。塩数の子は海水または塩水に漬けたもので、塩抜きをしてから調理します。味付け数の子は、すでに味付けされた状態で販売されており、そのまま食べられる手軽さが特徴です。
数の子の魅力は、何といってもそのプチプチとした歯ざわりの食感にあります。魚卵そのものにはあまり味がないため、だしや醤油、みりんなどを合わせた漬け汁に漬け込むことで味付けを行います。この食感を最大限に楽しむためには、適切な塩抜きと味付けが重要になってきます。
綺麗に漂白する製法が確立されたことで、数の子は美しい黄金色を呈するようになり、「黄色いダイヤ」という異称を持つまでになりました。その見た目の美しさと希少性から、高級食材としての地位を確立しています。
「カドの子」から「数の子」へ
数の子の語源には諸説ありますが、最も有力とされているのが「カドの子」の転訛説です。江戸時代、ニシンは「カド」と呼ばれており、その子(卵)という意味で「カドノコ」と呼ばれていました。これが時代とともに「カズノコ」へと変化したと考えられています。
『本朝食鑑』(1697年刊)には、「鰊」を「加登(かど)」と訓じ、數子(カズノコ)が「加登乃古・加豆乃古(カドノコ)」とも呼ばれていたという記録が残されています。現在でもニシンは方言として「カド」「カドイワシ」と呼ばれることがあり、この語源説を裏付けています。
一方で、江戸時代の国学者・大石千引は、文字通り「数の子の義」、つまり卵の数が多いことから「数の子」と名付けられたという説を提唱しました。実際、室町・安土桃山時代の用例では「かずのこ」「かずの子」と記されており、「かどのこ」とは書かれていないことから、この説も一定の支持を得ています。
さらに、江戸後期の随筆『嬉遊笑覧』(1830年)では、数の子の女性語が「かずかず」で、室町時代の正月料理に「コズコズ」があるとしており、これらを類語とみなす見解もあります。
いずれにせよ、数の子という名称には、ニシンの卵という由来と、卵の数の多さという二つの意味が重なり合っているのです。この二重の意味が、子孫繁栄を願う縁起物としての数の子のイメージを強めているのかもしれませんね。
数の子の歴史は古く、室町時代にはすでに正月の膳に並んでいたと言われています。『撮壌集』(1454年)にはすでに「かずの子」という記述が見られ、永禄11年(1568年)の『朝倉亭御成記』には、足利氏(のちの足利将軍義昭)が「かずのこ」を供されたという記録が残されています。
また、文禄三年(1594年)には、豊臣秀吉が前田利家(のちの加賀藩祖)にもてなされた際の献立にも数の子が登場しており、この頃にはすでに高級食材として認識されていたことがうかがえます。
正月に数の子を食べる風習が庶民の間にも定着したのは、江戸時代元禄期頃とされています。卵の数の多さが子孫繁栄を連想させることから、縁起物として正月のおせち料理に用いられるようになりました。関東地方では、数の子、黒豆、田作り(ごまめ)を「祝い肴三種」と呼び、おせち料理の中でも特に重要な位置を占めています。
黄金色の輝きと心地よい食感
数の子の最大の特徴は、そのプチプチとした独特の食感です。食通で知られる北大路魯山人は、随筆「数の子は音を食うもの」の中で、数の子の魅力を「音」にあると表現しました。噛むたびに響く小気味よい音は、他の食材では味わえない数の子ならではの楽しみです。
魯山人は、塩漬けや生よりも一旦干した「干し数の子」を美味だと絶賛し、水戻しした干し数の子に花がつおをのせ醤油をかけるのが一般的な食べ方だとしながらも、余計な味を染み込ませず、あまり醤油が染み込まないうちに食べることを推奨しています。一方で、2週間もかけてやわらかく戻してから十分に醤油をしみこませたほうが美味という意見もあり、好みは分かれるところです。
数の子の色は、綺麗に漂白する製法が確立されたことで、美しい黄金色を呈するようになりました。この見た目の美しさも、数の子が高級食材として珍重される理由の一つです。正月の食卓に並ぶ黄金色の数の子は、新年の幸せを象徴する存在と言えるでしょう。
また、数の子は語呂合わせで子孫繁栄を祝す品として、特に正月のおせち料理や婚儀の会に重用されてきました。卵の数の多さが、多くの子宝に恵まれることを連想させるためです。この縁起の良さが、数の子を日本の食文化において特別な存在にしているのです。
国産から輸入品へ、そして復活の兆し
明治から昭和初期にかけて、日本では北海道を中心にニシン漁が盛んで、国産の数の子の入手は比較的容易でした。しかし、1955年(昭和30年)頃を境にニシンの水揚げ量が激減し、日本産の数の子は一気に貴重品となりました。乱獲か海洋環境の変化が原因とされていますが、この急激な減少は日本の数の子産業に大きな打撃を与えました。
国産品の減少に伴い、輸入品が台頭します。1960年代頃からは米アラスカ州からの供給が増産し、現在では日本の市場で流通している数の子のほとんどが輸入品となっています。カナダやアラスカ、ロシアなどが主な輸入先です。
興味深いことに、日本以外の地域では、数の子を食用にする習慣は基本的に一般的ではありません。カナダやアラスカ、欧州などでは、日本に輸出を開始する以前は数の子を全て廃棄していたのです。しかし、産地であるカナダやアラスカの先住民には、産卵後のものを採取して食べる風習がありました。
アラスカのシトカ湾付近に住むトリンギット族は、悠久の昔より海藻に産み付けられた子持ち昆布を採取して食べる伝統があり、ハイダ族やツィムシアン族、ユピック族なども同様の慣習を持っていました。これらの先住民の食文化が、現代の数の子産業の基盤となっているのは興味深い事実ですね。
1996年(平成8年)以降、日本においてもニシンの水揚げにようやく回復の兆候が見られ、若干量ですが国内産の数の子も再び見られるようになりました。国内におけるニシン加工業のほとんどが北海道の留萌市で占めており、同市の特産品にもなっています。国産数の子の復活は、日本の食文化を守る上でも重要な意味を持っています。
塩抜きから味付けまで、数の子の楽しみ方
数の子の調理において最も重要なのが、塩抜きの工程です。塩数の子は通常そのままでは食べられず、一度塩抜きをしてから食用とします。塩抜きは、数の子を水に浸し、数時間おきに水を替えながら行います。塩抜きの時間は数の子の大きさや塩分濃度によって異なりますが、一般的には6時間から一晩程度が目安です。
塩抜きが終わったら、薄皮を丁寧に剥きます。この薄皮を取り除くことで、より滑らかな食感が楽しめます。薄皮は指で優しくこすりながら剥くのがコツです。
味付けは、だし、醤油、みりんなどを合わせた漬け汁に漬け込むのが基本です。漬け込む時間は好みによりますが、数時間から一晩程度が一般的です。あまり長く漬けすぎると、数の子本来の食感が損なわれることがあるので注意が必要です。
特に正月のおせち料理として、醤油漬けや粕漬けにして食されてきました。また、松前漬けは、昆布、スルメ、数の子などを醤油・味醂の調味液に漬けこんだもので、北海道の郷土料理として知られています。一説によれば、数の子入りのものは昭和4年(1929年)よりの考案で、元はスルメと昆布のみの醤油漬けであったとされています。
数の子の売りはプチプチという歯ざわりの食感です。この食感を最大限に楽しむためには、適切な塩抜きと味付けが欠かせません。また、「子持ち昆布」は、ニシンが昆布に卵を産みつけたもので、珍味としてそのまま食用としたり、高級寿司店では寿司のネタとしても利用されています。
余った数の子は、細かく刻んでパスタに和えたり、サラダのトッピングにしたりと、様々なアレンジが可能です。伝統的な食べ方だけでなく、現代の食卓に合わせた新しい楽しみ方を探してみるのも面白いのではないでしょうか。
まとめ
数の子は、ニシンの卵を塩漬けまたは乾燥させた日本の伝統食材であり、室町時代から食されてきた長い歴史を持ちます。その名の由来は「カドの子」の転訛、あるいは卵の数の多さから「数の子」と名付けられたとされ、子孫繁栄を願う縁起物として正月のおせち料理に欠かせない存在となっています。
プチプチとした独特の食感は、数の子ならではの魅力であり、北大路魯山人が「音を食うもの」と表現したように、噛むたびに響く小気味よい音が楽しめます。黄金色に輝く美しい見た目も、正月の食卓を華やかに彩ります。
かつては北海道近海で豊富に獲れた国産品が主流でしたが、1955年頃を境にニシンの水揚げ量が激減し、現在では輸入品が中心となっています。しかし、1996年以降、国産数の子にも復活の兆しが見られ、日本の食文化を守る上で希望の光となっています。
数の子の調理は、塩抜きから味付けまで丁寧な工程が必要ですが、その手間をかけるだけの価値がある食材です。伝統的な醤油漬けや松前漬けはもちろん、現代の食卓に合わせた新しいアレンジも楽しめます。
新年を迎えるたびに、数の子の黄金色の輝きと心地よい食感が、日本の食文化の豊かさを改めて感じさせてくれます。子孫繁栄を願う縁起物としての意味を大切にしながら、これからも数の子を楽しんでいきたいものですね。