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高麗人参とは?その正体と1300年の時を越える歴史を解説

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739年、海を渡った高麗人参

天平11年、渤海国から聖武天皇のもとへ、ある贈り物が届きました。「人参30斤」という記録が残っています。これが高麗人参が日本に渡った最初の記録とされています。

それから長い時を経て、室町時代には輸入が本格化し、江戸時代には徳川家康が愛用したともいわれています。大航海時代には海を渡り、フランスの思想家ルノーやロシアの文豪ゴーリキーといった歴史上の著名人も常用していたとか。

一本の根が紡ぐ、1300年近い歴史。本記事では、高麗人参の種類や特徴、そして日本での栽培に挑んできた人々の物語を辿っていきます。

高麗人参とは何か

高麗人参は、ウコギ科の多年草で、学名を Panax ginseng といいます。和名では「オタネニンジン」とも呼ばれます。根の形状が人の形に似ていることから、中国では「人」の形をした「参(人参)」として重宝されてきました。

一般的なニンジン(セリ科)と異なり、高麗人参はウコギ科に属し、根の形状が「人」の字に似ているものが良品とされます。根の形が人の形に似ているほど高級とされ、古くから貴重な素材として扱われてきました。

主成分であるジンセノサイド(サポニン配糖体)は、根の部分に多く含まれています。この成分が、高麗人参の特徴的な成分として知られています。

古代中国から日本への長い旅路

紀元前1世紀、中国の書物「急就草」に高麗人参の記述が見えます。秦の始皇帝が万里の長城建設の折、その薬効を愛飲したと伝わるほど、古くから重宝されてきたのです。

大航海時代になると、高麗人参は海を渡ります。世界各国で、歴史上の著名人が常用したという記録が残っています。東洋の秘薬がヨーロッパの知識人を魅了したのですね。

徳川家康は健康マニアとして知られ、高麗人参を愛用しました。さらに八代将軍徳川吉宗は、1729年(享保14年)に国内初の栽培に成功させます。それまで発芽しなかった種子が、催芽処理によって芽吹いたのです。幕府は栽培方法を公開し、奨励政策を推進しました。松江藩では人参方役所を設け、長崎や大阪へ陸路で運び、中国商人へ販売したといいます。輸入に頼るだけだった時代から、国産化への道が開かれた瞬間でした。

江戸時代の栽培成功と大根島の物語

1729年、八代将軍徳川吉宗の時代。ついに高麗人参の栽培が成功しました。しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。種子はなかなか発芽せず、何度も失敗を重ねたといいます。転機となったのは、催芽処理という技法の発見です。胚の成熟を促すことで発芽率が劇的に高まり、それまで困難とされていた栽培が現実のものとなりました。

幕府はこの技術を公開し、藩を挙げて栽培を奨励します。松江藩でも松平宗衍の時代、産業振興策として高麗人参の生産が推進されました。陸路で長崎や大阪へ運び、中国商人へ販売するビジネスモデルが確立されたのです。中海に浮かぶ大根島は、周囲わずか16キロの小さな島ながら、緩やかな丘陵地が栽培に適し、江戸時代から全国有数の産地として名を馳せました。

水参・紅参・白参:加工法による違い

高麗人参は、鮮度を保ち効能を高めるために古くから様々な形態に加工されてきました。その加工方法によって呼び名や特徴が大きく異なります。

まず水参(すいさん)は、畑で収穫したままの生の状態を指します。全ての製品の原料となる存在です。表面に土がついたままのクリーム色で、頭部が短く発達し、足と胴体がしっかりと育っているのが特徴。重みを感じる手応えがあります。

一方、白参(はくさん)は水参の皮を剥いてから天日で乾燥させたもの。蒸さずに仕上げるため、色合いは淡く仕上がります。

では紅参はどうでしょうか。水参の皮をはがさずに蒸気で蒸し、水分量が14%以下になるまで自然乾燥させた加工品です。実際に手に取ってみると、その赤褐色の艶やかな外観にまず目を引かれます。指先で触れると、石材のように硬い感触が伝わってくる。この硬さこそが長期保存を可能にしているのですね。

蒸して乾燥させる過程でジンセノサイドの含有量が大幅に増えるため、水参や白参よりも働きが強く、高麗人参の中でも特に貴重な上級品とされています。

現代の食卓:サムゲタンを中心に

韓国の食文化を辿ると、高麗人参は今も変わらず親しまれている食材のひとつです。参鶏湯(サムゲタン)という料理名をご存知の方も多いのではないでしょうか。若鶏の中に餅米やナツメ、そして高麗人参を詰め、じっくりと煮込んだスープ料理です。

初めてサムゲタンを口にしたとき、スープを啜った瞬間にふわりと広がる独特の香りに、はっとさせられました。強すぎず、でも確かに存在感を主張する。鶏の旨味と溶け合い、噛むほどに根の繊維から染み出す苦味と甘味が舌に残る。この多層的な味わいこそが、韓国で長く愛されてきた理由なのでしょう。

一方、日本国内でも栽培が進んでいます。信州の厳しい自然環境、標高の高い土地で6年の歳月をかけて育った高麗人参は、健康成分ジンセノサイドの含有量が高いとされています。同じ6年根でも20gから200gとサイズに幅があり、収穫時の傷や形で等級が分かれるという。化粧品原料としても知られるこの食材ですが、サムゲタンのように食卓に上がるとき、その魅力はより身近に感じられるものになります。

千年の時を越えて届く、根の物語

中国文献にその名が記されて以来、高麗人参は時を超えて人々の暮らしに寄り添い続けてきました。秦の始皇帝が愛飲したと伝わり、大航海時代には海を渡ってヨーロッパの知識人たちを魅了した。この根が単なる健康食材として片付けられない理由は、旅路そのものにあるのです。

日本に目を転じれば、室町時代から輸入が始まり、江戸時代には徳川家康が愛用したとされる。権力者から文人まで、時代を超えて多様な人々を惹きつけてきた背景には、何か特別なものがあるのでしょう。

土の中でじっくりと時を重ね、人の手で大切に育てられ、海を渡り、山を越える。一口に「高麗人参」と言っても、その背後には数千年の歳月と数え切れない人々の営みが凝縮されている。私たちが今日手にするこの根は、そうした長い旅路の果てに辿り着いた、いわば文化の結晶なのかもしれません。

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