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桃とネクタリンの偶然の出会いが生んだ果実
長野県須坂市の果樹園で、思いがけない出会いからひとつの果実が生まれました。桃とネクタリンが、人の手を借りずに自然交配したのです。品種改良の現場では、交配は計画的に行われるのが一般的。ところがワッサーの場合は、違いました。
その果実の名は「ワッサー」。生みの親は、故・中村渡(なかむらわたる)さんの農園でした。山根白桃と水野ネクタリンが偶発的に交配し、生まれた品種だといいます。
偶然の産物でありながら、この果実はやがて須坂市を代表する希少フルーツへと育っていきます。名前の由来、桃ともネクタリンとも違う個性、そして地域ぐるみのブランド化。偶然が育てた果実の物語を、順にたどってみましょう。
「ワッサー」の名に込められた物語
「ワッサー」——その響きからは、果物の名前というより、どこか愛着のある呼び名を連想させます。実際、その感覚は大きく外れていないのです。
実は、中村さんの子供時代に呼ばれていたニックネーム、それが「わっちゃん」だったといいます。この愛称が変化し、果実の名前として定着したという。品種名や地名から付けられたと思い込むと、この由来は意外に映るかもしれないですね。
小さな農園から生まれた果実に、人物の愛称が託される。そんな経緯が、ワッサーという名前の背景にあります。須坂市の果物として流通するようになった今も、その名前は中村さんという人物の記憶とともに語り継がれているのです。
では、このワッサーという果実が、どのような味わいを持つのか。次のセクションで詳しく見ていくことにします。
桃ともネクタリンとも違う、ワッサーの個性
桃といえば、白い果肉を連想する人が多いでしょう。ネクタリンなら、つるりとした赤い皮と、しっかりした甘みを思い浮かべるかもしれません。ところが信州・須坂で生まれたワッサーは、そのどちらのイメージからも少しずれています。
まず目に飛び込むのは、果肉の鮮やかな黄色です。ワッサーは切った直後の果肉が黄色で、その色合いは印象的です。しかも、通常の桃より小ぶりで、ネクタリンと同じくらいの大きさです。
そして、食感が違います。ワッサーの果肉はかためで、しっかりとしています。桃のようなとろける柔らかさではなく、噛むと、果肉が応える。そんな歯ごたえです。このかたさが、身崩れしにくいという性質につながっています。コンポートやタルトに使っても形が崩れにくいため、加熱調理に向いているのです。
味のバランスも独特です。桃の甘さとネクタリンの酸味が合わさってバランスが良く、爽やかな味わいです。甘さが控えめでほどよい酸味があるため、素材の持ち味を引き立てる下地として、ワッサーは優れていると言えます。シロップやスパイスの香りを素直に受け止め、果実そのものの存在感は残したまま、料理に馴染んでいくのです。
鮮やかな黄色、かための果肉、爽やかな味わい。桃ともネクタリンとも違う、ワッサーだけの個性がここにあります。この個性が、須坂の新しい味として注目される理由なのでしょう。
須坂市が仕掛ける、希少フルーツのブランド化
須坂市地域おこし協力隊の北さんは、自身のブログでワッサーのブランド化と販売に力を注ぐ考えを明かしています。隊員自らが販路を開拓しようとする姿勢は、この果実が単なる珍しい品種ではなく、地域を盛り上げるための核として見られている証しでしょう。
地域おこし協力隊という立場からワッサーに注目が集まる背景には、須坂市の活性化への期待があります。偶然の交配から生まれた果実が、今度は人為的な努力によって、地域のシンボルへと育てられようとしています。その過程は、まさに地域が一丸となって新しい物語を紡ぐ瞬間と言えるでしょう。
偶然が育てた、須坂の新しい味
須坂市の一角に、果樹が風に揺れる農園があります。そこで何気なく交わった二つの花粉が、やがて地域を代表する味へと育っていくのです。その結末を、当時の誰も予想していませんでした。
山根白桃と水野ネクタリン。交配の設計図もないまま、混植園で自然が結んだ縁です。故・中村渡(なかむらわたる)さんの農園で偶発的に芽吹いた果実は、1968年の混植から1971年頃の選抜・育成を経て、1988年に登録出願、1990年に品種登録されました。人の手を借りずに生まれたからこそ、須坂の食卓に新しい彩りを添える存在になりました。
その後の歩みは、偶然を必然に変える挑戦の連続でした。須坂市地域おこし協力隊などがブランド化に取り組み、生産量が少なく、ほかの地方ではほとんど販売されていない希少な存在として扱われるようになっていきます。きっかけは思いがけない出会いでも、そこから先は人々の手で育てられてきた果実です。
果実の歴史は、まだ始まったばかり。須坂で生まれたこの味が、どのように受け継がれ、どんな物語を積み重ねていくのか。その行方を、地域の宝物として見守っていきたいものです。