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稲田俊輔|エリックサウス
9月のアジア料理特集で発売した稲田俊輔シェフの「ハイデラバーディ チキン カッチビリヤニ」は、2021年にシェフレピで発表したなかで、最高販売数を記録したベスト・ヒット・キットです。
バスマティライスという、誰もが初めて触れるであろうインドの米を炊いたり、スパイスでマリネした鶏肉を焦げないように米と一緒に炊きこんだりと、決して簡単とはいえないレシピでしたが、作った人たちからは「おいしくできた」という成功報告がSNSに頻繁に投稿されました。それは、稲田シェフが作ったレシピの再現性の高さにほかなりません。
この様子は、稲田シェフ自身もSNSで見てくれており「シェフレピさんのお客様は、みなさんお料理が上手なので驚いています」と、うれしい感想も。そんな稲田シェフが2021年を締めくくるレシピとして考案してくれたのが「鴨肉のニハリ」です。
ニハリは、鴨ではなくスープを食べる料理
インドやパキスタンでは朝に食べる習慣がある骨付き肉のスパイス煮込み「ニハリ」は、各地域で多種多様なレシピがあるといいます。
たとえば、南インドの内陸部にあるハイデラーバード地方では、優しい味付けで、色も淡いそうです。一方、インド北西に接するパキスタンでは味が濃く、ロティといわれる全粒粉を使って発酵させない素朴なパンと合わせて食べるのが特徴です。
「召し上がっていただくとわかると思うのですが、どことなく日本のルーカレーに近いように感じられると思います。まったく同じではなく何か違うんだけど、どこか通じるものがあるという感じです。現地では、ニハリをライスにかけて食べることはあんまりしないんですが、私たち日本人の感覚としては、ご飯にかけたくなりますよね。実際かけて食べるとおいしいですし、実際現地の方が、“裏技”でニハリの残った汁をビリヤニにかけたらおいしいと言っていたので、向こうの人からすると少し下品かもしれないですが、やっぱりライスにも合うんだなと思います」
レシピや材料を見てもらうとわかる通り、スパイスこそ11種類と多いですが、材料はそれほど多くなく、工程自体もシンプルにまとまっています。それゆえに出来あがった鴨のボリューム感とシンプルに仕上がったとろみのあるスープが際立ってくるともいえます。
「鴨肉ももちろんおいしいのですが、どちらかと言われれば『ニハリ』はスープを味わう料理だと思っています。インドの人たちは普段であれば肉を煮込んでスープに吸わせるしかないような調理をしますが、日本料理の揚げ出汁豆腐の葛あんかけのようにすればスープを“食べ物化”できると思ったのかもしれませんね」
「鴨のニハリもおいしいね」と
インド人も納得するはず
「ニハリに使う肉は羊や山羊の脚肉が最も一般的で、時には鶏も使われます。じつは鴨はインドではほとんど食べられない肉なのですが、個人的にニハリにとても向いた肉だと思っており、今回はあえて使用しています」
鴨を食べることは、ムスリム(イスラム教徒)の禁忌にはないものの、食に対する保守性はとても高く、鶏肉やマトン以外をあまり受け付けようとしません。魚や海老もあまり好まないといいます。稲田シェフが今回あえて鴨をニハリにしようと思ったきっかけが鴨のコンフィを作っていた時のことでした。
「なんでこれをニハリにしないんだろう?って思ったんです。だって、一晩かけて、沸騰ギリギリぐらいの低温で長時間で火を入れるのが鴨のコンフィだとすれば、それってニハリだと思うんですよ。そう思ってやってみたらどんずばでおいしかったんですよね。むしろインドの人に教えてあげたい(笑)鴨でやってみなよ!って。絶対君ら好きだから(笑)」
インド人が好きな味の条件に、ガツンとした肉肉しさがあるといいます。インドではマトンがたくさん食べられますが、それは、マトン特有の癖をインド人が好むからだと誤解している人が多く、インドの人たちにとっても、私たち同様、臭みなどなければないほどいいといいます。育てている羊も、大型になるまで育てたものを食べても臭みがないそうです。
その点今回の鴨も、脂は鶏やマトンよりも出るものの最初に焼いて脂を落とせば、インド人も好む味だろうと稲田シェフは考えます。
「インド料理はいったん完成している」から発展できる
今回の鴨肉のニハリのように、基本的にインドでは食べない食材を、インド料理で使うことを稲田シェフは、「もしインドの人が習慣として積極的に鴨を食べるならどんな料理にするだろう?」と、仮説を立てて作る「if(イフ)料理」を作っているといいます。
たとえば、今回の鴨肉のニハリの以外にも稲田シェフのレシピの中には、鯖缶カレーや鯖缶マサラなど鯖の缶詰を使ったレシピがあります。
鯖缶をスパイスカレーで使うのは難しいのではないか?と一見思ってしまいがちですが、そんな先入観を稲田シェフのレシピは、みごとに一掃してくれています。時短や簡単であるにもかかわらず、本格さを両立したスパイスカレーのレシピに驚かされた人も多いのではないでしょうか。それが稲田シェフの「if料理」から生まれたインド料理です。
しかし、「if」という仮定はいくらでもできるともいえます。仮説には根拠が必ず必要です。稲田シェフにとってインド料理である根拠はどこに求めているのでしょうか。
稲田シェフはインド料理を「いったん完成している料理」といいます。発展途上でもなく、未完成というわけでもない、そしてこれから進化をしないとも限らない。だからこそ「いったん」完成されているとして、現在インドに残っているレシピから仮説を展開していきます。
「いったん完成してるんだけど、いわゆるグローバリズム的なことの中で、完成した状態から変化していく可能性もあると思うんです。だから今完成してるからといってこれからの変化を否定するのも、それもつまらない話だというふうに思ってます」
世界の料理の流れをみても、日本料理がフランス料理に影響を与えたことでヌーベル・キュイジーヌという運動が生まれたという側面もあるように、インド料理も他国の料理の影響をうけて新しい料理が生まれるかもしれません。
インド人が鴨を積極的に食べる習慣があったならば、という“if”の仮説を立てることで、料理はどうなるのか。料理の未来を提案していくことで、さらなる料理への面白さ、そして新しい発見が生まれてくるのではないでしょうか。
フランス料理がそうだったように、インド料理もいったん完成している、けれどもその先の変化は、これからの料理への仮説次第でいくらでも起こせるかもしれません。
稲田俊輔●いなだ・しゅんすけ
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て、友人が起業した「円相フードサービス」の設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店25店舗の展開に尽力。事業立ち上げやメニュー開発などを手掛ける。2011年には、東京駅八重洲地下街にカウンター席主体の南インド料理店「エリックサウス」を開店。南インド料理ブームをけん引する人気店のひとつになる。料理人、プロデュース業のかたわら、Twitter(@inadashunsuke)などで情報を発信し、「サイゼリヤ100%☆活用術」なども話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』、『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(ともに柴田書店)がある。
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