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洋酒を吸った菓子「ババ」は、なぜ生まれたのか
洋酒の香りがふわりと立ちのぼり、フォークを入れるとしっとりとした重みが伝わります。クリームやフルーツをのせたその菓子の名は、「ババ」です。
ババの来歴は、一つの国で語り切れるものではありません。フランスのロレーヌ地方で18世紀に生まれたとする説が広く見られる一方、16〜17世紀頃のポーランドにさかのぼり、クグロフを酒に浸したバブカを起源とする説も伝えられています。イタリアのナポリでは郷土菓子として親しまれ、パスティエラと並ぶ存在として紹介されることもあります。ナポリへは、18世紀にロレーヌ地方を経由し、貴族に仕えたフランス人シェフによって伝わったとされる経路が知られています。出自をめぐっては複数の説が並び、同じ名前を名乗りながら、土地ごとに違う物語をまとっているのです。
なぜ生地に洋酒を吸わせるのか。生地の配合、伝来の経路、サバランとの関係と名前の変遷。たどるほどに、この菓子の輪郭は変わっていきます。
フランス発祥か、ポーランド起源か:揺れるババの出自
ババの出自をめぐる議論は、菓子の歴史というより、伝説の帰属を争う綱引きを見ているような趣があります。押さえておきたいのは、同じ菓子について「フランス発祥」と記す資料と、「ポーランドに起源を求める」資料が併存している点です。フランス発祥とする資料では、ババは18世紀のフランスで生まれたお菓子とされ、ロレーヌ地方を治めていた公爵が乾燥してかたくなったパンをお酒に浸して食べたことが由来とされています。一方、ポーランド起源を語る資料では、16~17世紀頃のポーランド生まれのバブカ(Babka Ponczowa)を起源とする説と、18世紀のレクチンスキーにまつわる逸話とが、それぞれ別の筋書きとして示されています。
ポーランド説の主役はスタニスラス・レクチンスキー。ロレーヌを治めた人物です。18世紀、かたくなった菓子に酒を染み込ませて食べたことがババの始まりだという筋書きになっています。ただし、この逸話には複数の版があります。レクチンスキーが浸したのはトカイワインであり、それをラム酒に置き換えたのは菓子職人ニコラ・ストーラーとされている資料がある一方、固くなったクグロフをラム酒に浸したとする資料もあります。固い菓子を酒で蘇らせる。失敗を味に変える発想は、菓子作りの現場らしいものです。
また、レクチンスキーはポーランド王位を狙ったものの就けず、ロレーヌ公となった人物と説明されています。呼称の揺れは、逸話が口伝のように各地を巡り、語り直されるうちに姿を変えたことをうかがわせます。人物の肩書きすら一致しないまま、物語だけが先に広まった可能性は否定できません。
フランス説にも同じ弱さがあります。発祥地として国名が示されていても、それがいつ、どの資料に基づいて定着したのかまでは、ここで挙げた根拠からは追えません。どちらの説も「そう言われている」以上の強度を持ちにくいのが実情です。
それでも、どちらが正しいかを決め切る必要はないのかもしれません。ポーランドにまつわる逸話とフランス発祥の記述が同じ菓子の上で重なり合い、そのうえでナポリでは郷土の菓子として扱われている——そう眺めると、ババは一国に帰属させるには惜しい存在です。出自が揺れること自体が、この菓子の履歴書なのです。
ブリオッシュかパン生地か:材料とシロップの設計
材料の数字を並べていくと、ババの輪郭が少し見えてきます。あるレシピでは強力粉300gに対して全卵6個(約300g)、塩5g、グラニュー糖15g、無塩バター100g、ドライイースト7gという配合が示されています。粉と卵がほぼ同量で、バターは粉のおよそ3分の1。ケーキの配合というより、パンに近い比率です。
卵が水分の大半を担うため、こね上げた生地は重く、焼き上がりには弾力が残ります。分割は1個50〜55gで12〜13個分。一つひとつは軽く、シロップを受け止める器としての大きさに整えられていく。
では、これはブリオッシュの系譜なのか、強力粉とイーストで立ち上げるパン生地なのか。参照した配合では主役が強力粉とドライイーストで、砂糖は粉300gに対して15gと控えめです。ところが卵とバターの量は、明らかにパンの標準を上回っています。二者択一で切るより、両方の性格を抱えた生地と見たほうが実態に近いかもしれません。
分類の揺れは資料の棚にも表れます。あるレシピサイトでは「洋菓子/その他ケーキ」に置かれ、別のレシピは、ババをドーナツ型に焼いたパンをシロップに浸す菓子と説明しています。同じ菓子が、菓子としてもパンとしても紹介されるのです。
シロップの設計にも幅があります。ラム酒を染み込ませる——レシピの題にそう記されるように、酒は仕上げの香りづけではなく、生地の内部まで入り込む要素です。糖と酒の比率は資料によって幅があり、あるレシピでは水600cc・グラニュー糖300g・ラム酒200ccという数値が示されています。焼いた生地を液体に浸す工程そのものが、乾いたパンを別の食べ物へ変えていく。噛んだときに染み出す量が、口当たりを決めます。
配合のわずかな差が、仕上がりの性格を変えていきます。レシピを読むときは、粉と卵とバターの比率から眺めると、ババの輪郭がつかみやすくなります。
ナポリに根づいたババ:伝来経路と地域の定着
朝のナポリ。菓子屋のショーケースに、つやつやと照った小さな菓子が並びます。飾り気のない、どこか素朴な見た目。それでも、ひと口かじれば、ふわっとした生地の隙間からシロップがじゅわっと染み出す。南イタリア、ナポリの伝統菓子とされるババは、こうして街の日常に溶け込んできました。
ナポリ料理を専門に扱う料理人の記録では、ババはナポリを代表する菓子の一つとして、別の郷土菓子と並べて紹介されています。観光客向けの珍品ではなく、地元の菓子屋やバールで日常的に扱われる存在だという位置づけが見えてきます。
この菓子は、どのような経路でナポリに根を下ろしたのか。ここで語られる道筋は一つではありません。ポーランド生まれのバブカを起源とする見方や、18世紀のフランスで生まれたとする見方、ロレーヌ地方を治めていた公爵の逸話に由来を求める見方などが並立しており、どれか一つに断定できる一次資料が揃っているわけではないようです。ナポリへの伝来についても、18世紀にロレーヌ地方を経由し、ナポリの貴族に仕えたフランス人シェフによってもたらされたとする記述がある一方、パリやナポリへ伝わって改良されたとする簡略な説明もあり、経路の細部は一様ではありません。
伝来の細部はともかく、ナポリに定着した後の姿には共通点があります。生地は軽く、口の中でほどけるようにやわらかい。ラム酒を効かせたシロップをたっぷり吸わせた「ババ・アル・ルム」として、酒の香りと甘みが後から追いかけてくる構造です。ただし、ナポリではシロップを染み込ませただけのシンプルなものから、カスタードクリームやアマレーナチェリーをトッピングしたもの、生クリームとフルーツを飾ったものまで、多様なバリエーションが存在します。飾りを控えた姿だけがナポリ流というわけではなく、シロップの含み具合と生地の軽さを軸にしながら、さまざまな形で日々の食卓やバールに並んでいるようです。
サバランとババは何が違うのか:形状と名称の変遷
形の差は、名前の差を考えるうえで最も分かりやすい手がかりになります。ババの形状については、コルク型や円柱型とする資料がある一方、ドーナツ型、キノコ型とする資料もあり、情報源によって一致していません。対して、中央に穴の開いたリング型はサバランの名で広く定着しました。同じ系統の生地にシロップを染み込ませる点は重なるものの、材料の配合には油脂や粉の種類をめぐって差異も見られます。型が違えば別の菓子として語られてしまう。二つの説が併存し続ける理由の一端は、ここにありそうです。
サバランがババを土台に生まれたと説明する資料がある一方で、円環形のババが後にサバランへ呼び替えられたと読める記述も残ります。前者は系譜に、後者は改名に焦点を当てた見方であり、どちらも「型の変化が名前を分けた」という一点では重なります。ババの発祥地についても、フランスとする説とポーランドとする説が併存しています。コルク型のババとリング型のサバラン。呼び分けの境界線は、配合や味付けよりも、焼き型の形そのものに引かれていたのかもしれません。
菓子のババ、文化のババ:名前が指す別の世界
舞台をマレー半島へ移します。マラッカの旧市街には、中国とマレーの意匠が同居する住まいが並び、その食卓を囲む人々はプラナカンと呼ばれてきました。男性にはババ(Baba)、女性にはニョニャ(Nyonya)という呼び名があります。
ニョニャの装いにも、その暮らしぶりが表れます。刺繍を施したブラウス「ケバヤ」に、腰布として巻く「サロン」を合わせる。マレーと中華が混ざり合って形づくられた文化、それがババ・ニョニャ文化です。華人としての伝統的な風俗や習慣を守り、受け継いできた暮らしが土台にあり、そこへマレーの風習が重なっていきました。中国の伝統文化の色合いを帯びている点も、この文化を語るうえで欠かせません。
ここで菓子のババに話を戻すと、両者をつなぐ糸は見当たりません。洋酒を吸わせた焼き菓子と、海峡植民地の男性を指す呼称。綴りは同じでも、指す先はまるで違います。
では、どう見分けるのか。「ババ」という語が何を指すかは、前後に置かれた言葉が決めます。シロップ、焼き型、ラム——こうした語が並べば菓子の話です。プラナカン、ニョニャ、マラッカ——こちらが並べば、人と文化の話になる。同じ二音が、文脈ひとつで別の世界へ切り替わるのです。
一つの菓子が映す、国境を越えた食の記憶
皿の上で、酒を吸った生地がしっとりと重さを増している。同じ菓子が海を渡るたびに少しずつ表情を変えてきた——それがババという菓子の来歴です。染み込む洋酒の香りは変わらなくても、添えられるもの、供される場面、そして語られる由来は土地ごとに異なります。
一つの起源説に収まらないことは、この菓子の輪郭が曖昧だという意味ではありません。複数の国がそれぞれに自らの記憶を重ねてきたからこそ、今も各地の菓子棚に姿を残しているのでしょう。ナポリで「Babà al rhum(ババ・アル・ルム)」と呼ばれる一杯も、その重なりの一つの形です。
国境を越えた食の記憶は、レシピの一致ではなく、差異の積み重ねとして受け継がれていく。そんなことを、この菓子は静かに教えてくれます。
























