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小肌とは?江戸前寿司を彩る光り物の魅力と出世魚の秘密

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はじめに

小肌(コハダ)という名を聞いて、すぐに江戸前寿司の光り物を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。銀色に輝く美しい魚体と、酢で締めた独特の風味は、寿司通を魅了してやみません。この魚は成長とともに名前が変わる出世魚で、稚魚の頃は「新子(シンコ)」、さらに成長すると「ナカズミ」、そして成魚になると「コノシロ」と呼ばれます。

本記事では、小肌の名前の由来から歴史的背景、旬の時期、そして江戸前寿司における伝統的な仕込み方まで、この魚の魅力を多角的に解説していきます。

銀色に輝く「子供の肌」のような魚

小肌という名前の由来は、その体表が「子供の肌」のように滑らかで美しいことから名付けられたとされています。体長10センチメートル前後の若魚を指すこの呼び名は、江戸前寿司の世界では特別な意味を持ちます。

成魚であるコノシロは全長30センチメートルほどに成長し、体は木の葉のように左右に平たい形状をしています。背中側は青緑色、腹側は銀白色という美しいコントラストが特徴的です。体の上半分には小さな黒い斑点が点線状に並び、鰓蓋(えらぶた)の後ろには大きな黒い斑点が一つあります。また、背びれの最後の軟条が糸状に長く伸びるのも見分けるポイントですね。

東北地方南部以南の西太平洋に広く分布し、内湾や河口の汽水域に群れで生息しています。大規模な回遊は行わず、一生を通して生息域を大きく変えることはありません。春から秋には塩分濃度が低い河口域に棲み、冬には湾口部の比較的深部に移動して越冬するという生態を持っています。

「腹切り魚」から高級魚へ:波乱の歴史

小肌の歴史を紐解くと、意外な事実に出会います。古くは「ツナシ」と呼ばれ、大伴家持の古歌に「都奈之」として登場するほど、古代から日本人に親しまれてきた魚でした。

「コノシロ」という名前の由来には諸説ありますが、古くは「飯」のことを「コ」や「コオ」といい、大漁に獲れたため「飯の代わりにする魚」から「飯代魚(コノシロ)」となったという説が有力です。庶民の食卓を支える重要な魚だったことが窺えますね。

しかし、江戸時代には「腹切り魚」として武家から嫌われた忌み魚だったという、なんとも皮肉な歴史も持っています。これは、魚を調理する際に腹を切る様子が切腹を連想させたためと言われています。武家社会では縁起が悪いとされ、敬遠されていたのです。

ところが、庶民の間では話が別でした。江戸前寿司の発展とともに、小肌は光り物の代表格として人気を博していきます。現在では高級魚として扱われ、特に初夏の新子は希少価値が高く、寿司職人の腕の見せ所となっています。忌み魚から高級魚へ。なんとも劇的な変遷ではないでしょうか。

出世魚ならではの名前と価値の逆転現象

小肌の最も興味深い特徴の一つが、成長段階によって名前が変わる出世魚であることです。しかし、この魚には他の出世魚とは決定的に異なる点があります。

成長段階と呼び名:

  • 体長3〜5センチメートル:新子(シンコ)
  • 体長10センチメートル前後:小肌(コハダ)
  • 体長13〜15センチメートル:ナカズミ
  • 体長20センチメートル以上:コノシロ

通常、マグロや鯛をはじめとする多くの魚は、魚体が大きくなるにつれて値が上がっていきます。ところが小肌に関しては、新子→小肌→ナカズミ→コノシロと魚体が大きくなるにつれて値が落ちていくのです。

可食部は増し、脂ものってくるのに安くなっていく。これは一体なぜでしょうか?

答えは、江戸前寿司における価値観にあります。寿司ネタとしては、小さくて繊細な新子や小肌の方が珍重されるのです。新子は一貫に三匹ほども使用する贅沢なネタで、ごく一時期しか食べられない希少性も相まって高値で取引されます。一方、大きく成長したコノシロは、寿司ネタとしてよりも焼き物や煮付けに向いており、用途が異なるため価格も下がるというわけです。

プランクトンを水ごと吸い込み、鰓耙(さいは)で濾しとって食べるという食性を持つこの魚は、有機物の多い内湾での定着性が比較的強く、群になって表中層を活発に泳ぎ廻ります。

旬と産地:脂がのる秋、希少な初夏の新子

小肌は一年中漁獲されますが、最も美味しい時期は脂がのってくる秋の9月から11月とされています。この時期の小肌は、酢締めにしても脂の旨味がしっかりと感じられ、江戸前寿司の真骨頂を味わえます。

一方、初夏に出回る新子は別格の扱いです。体長わずか3〜5センチメートルの稚魚は、その繊細さゆえに一貫に約三匹も使用されます。ごく一時期しか食べられない希少ネタとして、寿司通の間では「新子が出ると夏が来た」と言われるほど季節の風物詩となっています。

最も漁獲量が多いのは伊勢湾地域で、瀬戸内海西部、九州中部がこれに次ぎます。沿岸漁業の定置網、刺し網、地引き網などで漁獲されますが、サビキ釣りでも釣れることがあります。ただし、有明海沿岸域では1990年代後半頃から漁獲量が減少傾向にあり、資源管理の重要性が指摘されています。

寒い時期のコノシロには脂がのって旨味も増し、焼き物や煮付けにすると絶品です。熊本県の八代海沿岸部や天草灘、有明海に面した地域では、正月や祭り、祝い事など家族や親せきが集まる場に「コノシロの姿寿司」が欠かせない料理として、江戸時代から受け継がれています。

江戸前寿司における小肌の仕込み:酢締めの技

小肌を語る上で欠かせないのが、江戸前寿司における伝統的な仕込み方です。光り物の代表格として、その仕込みには職人の技術と経験が凝縮されています。

基本的な酢締めの工程:

まず、小肌を三枚におろし、腹骨を丁寧に取り除きます。この段階での包丁さばきが、仕上がりの美しさを左右します。

次に、塩を振って余分な水分を抜きます。塩加減と時間は魚の大きさや鮮度によって微妙に調整が必要で、ここに職人の経験が活きてきます。

塩を洗い流した後、酢に漬け込みます。通常は数時間で締め上げますが、伝統を守る店では一週間もの時間をかけて熟成させることもあります。じっくりと時間をかけることで、酢が魚肉に深く浸透し、まろやかな味わいが生まれるのです。

酢締めが完了したら、薄皮を丁寧に剥きます。この作業が「光り物」と呼ばれる美しい銀色の輝きを生み出します。剥きすぎると身が崩れ、剥き足りないと食感が悪くなる。まさに職人技が試される瞬間ですね。

最後に、包丁で細かく飾り包丁を入れます。これは見た目の美しさだけでなく、口当たりを良くし、酢飯との一体感を生み出す重要な工程です。

新子の場合は、その小ささゆえに一貫に約三匹を使用します。三枚におろした身を重ね合わせ、美しい扇形に仕上げる技術は、まさに江戸前寿司の真髄と言えるでしょう。

寿司以外の楽しみ方:焼き物、煮付け、姿寿司

小肌といえば寿司ネタというイメージが強いですが、実は様々な調理法で楽しめる魚です。特に大きく成長したコノシロは、寿司以外の料理でその真価を発揮します。

焼き物: 塩焼きにすると、脂がのった身から香ばしい香りが立ち上ります。皮目をパリッと焼き上げ、中はふっくらと仕上げるのがコツです。大根おろしと一緒にいただくと、脂の旨味が引き立ちます。

煮付け: 醤油ベースの甘辛い煮汁でじっくりと煮込むと、骨まで柔らかくなり、ご飯のおかずとして最高の一品になります。生姜を効かせることで、魚特有の臭みも消え、深い味わいが楽しめます。

姿寿司: 熊本県などでは、コノシロの姿寿司が伝統料理として受け継がれています。魚を丸ごと使い、酢飯を詰めて押し寿司にしたもので、正月や祝い事に欠かせない縁起物です。見た目の華やかさと、魚の旨味が酢飯に染み込んだ味わいは格別ですね。

家庭で小肌を楽しむなら、まずは酢締めに挑戦してみてはいかがでしょうか。新鮮な小肌が手に入ったら、塩と酢、そして米があれば、江戸前の味を再現できます。最初は難しく感じるかもしれませんが、何度か試すうちに自分好みの塩梅が見つかるはずです。

まとめ

小肌は、江戸前寿司を代表する光り物として、長い歴史と文化を背負ってきた魚です。「子供の肌」のような美しい体表から名付けられたこの魚は、江戸時代には「腹切り魚」として武家から嫌われながらも、庶民の間では愛され続けてきました。

新子、小肌、ナカズミ、コノシロと成長とともに名前が変わる出世魚でありながら、大きくなるほど価値が下がるという逆転現象は、江戸前寿司における独特の価値観を物語っています。初夏の新子は希少性が高く、一貫に三匹も使う贅沢なネタとして珍重され、秋の脂がのった小肌は酢締めの旨味を存分に楽しめます。

伝統的な酢締めの技法は、職人の経験と技術の結晶です。塩加減、酢の浸透時間、薄皮の剥き方、飾り包丁の入れ方。一つ一つの工程に意味があり、それらが組み合わさって初めて、あの美しい光り物が完成します。

寿司ネタとしてだけでなく、焼き物や煮付け、姿寿司としても楽しめる小肌。その多様な魅力は、日本の食文化の豊かさを象徴していると言えるでしょう。次に寿司屋を訪れた際には、ぜひ小肌を注文してみてください。職人の技と、この魚が辿ってきた歴史に思いを馳せながら味わえば、また違った美味しさが発見できるはずです。

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