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はじめに
松風焼き(まつかぜやき)は、ひき肉などの表面に、けしの実やごまを散らして焼き上げた、日本の伝統的な焼き物料理です。鶏ひき肉に卵や味噌を混ぜ合わせ、天板に広げて焼き上げるこの料理は、おせち料理の一品として親しまれてきました。表面は香ばしく、裏面には何も飾りがない。この独特な仕上がりには、「裏がない=隠し事のない正直な生き方」という願いが込められています。
能楽の演目「松風」に由来する雅な名称、縁起を担ぐ意味合い、そして和風ハンバーグのような親しみやすい味わい。松風焼きには、日本の食文化が大切にしてきた「見立て」の美学と、新年を迎える心構えが凝縮されています。
表と裏に込められた願い:松風焼きの本質
松風焼きの最大の特徴は、その仕上がりの対比にあります。表面にはけしの実や白ごまがびっしりと散りばめられ、香ばしく焼き上げられた美しい焼き色が広がります。一方、裏面には何の飾りもなく、シンプルな焼き色だけが残る。
この「表にだけ飾りがあり、裏には何もない」という状態が、松風焼きという料理の核心です。「裏がない」という言葉は、日本語で「隠し事がない」「正直である」という意味を持ちます。新しい年を迎えるにあたり、正直で誠実な一年を過ごせるようにという願いを、この料理の形に託したのです。
鶏ひき肉を使うのが一般的ですが、魚のすり身で作られることもあります。鶏肉を用いたものは「鶏松風」とも呼ばれ、おせち料理の中でも比較的作りやすく、子どもにも人気の高い一品として定着してきました。
能楽「松風」が紡ぐ雅な物語
「松風焼き」という名称は、能楽の演目「松風」に由来しています。平安時代、歌人として知られる在原行平(ありはらのゆきひら)が須磨の浦に流されていた際、松風という名の海女と恋に落ちたという物語です。
行平が都に戻った後、松風は彼を想い続けながら寂しく暮らしました。「浦(うら)、寂しい」という言葉の響きが、「裏(うら)、寂しい」=「裏には何もない」という松風焼きの特徴と重ね合わされ、この料理名が生まれたとされています。
言葉遊びのような洒落た命名ですが、そこには日本料理特有の「見立て」の文化が息づいています。料理の形状や特徴を、古典文学や自然の風景に重ね合わせて名付ける。この美意識は、和菓子の「松風」にも共通するものです。
能楽という高尚な芸能と、日常の食卓を結びつける感性。松風焼きという名前を聞くたびに、日本文化の奥深さを感じずにはいられません。
甘じょっぱい味噌風味と香ばしさの調和
松風焼きの味わいは、甘めの味噌風味が特徴です。鶏ひき肉に卵をつなぎとして加え、味噌や醤油、みりんなどで調味します。この甘辛い味付けが、冷めても美味しいという松風焼きの大きな魅力を生み出しています。
表面に散らされたけしの実は、プチプチとした独特の食感をもたらすだけでなく、香ばしさも加えます。けしの実が入手困難な場合は、白煎りごまで代用されることも多く、その場合はより香ばしい風味が前面に出てきます。
食感は、ハンバーグよりもやや固めで、しっかりとした肉の食べごたえがあります。天板に広げて焼くため、切り分けやすく、お弁当やおせち料理の重箱にも詰めやすい形状になるのです。
子どもが喜ぶ和風ハンバーグのような親しみやすさと、おせち料理にふさわしい上品さ。この両立こそが、松風焼きが長く愛されてきた理由でしょう。
地域や家庭で異なる松風焼きの表情
松風焼きは全国的に知られる料理ですが、地域や家庭によって材料や作り方に違いが見られます。
関西では、干し椎茸や長ねぎのみじん切りを加えることが多く、より複雑な旨味と食感を楽しめる仕上がりになります。関東では、シンプルに鶏ひき肉と調味料だけで作ることも多いようです。
また、表面の飾りにも個性が現れます。けしの実が主流ですが、白ごま、黒ごま、青のりなど、家庭によって使う材料はさまざま。中には、複数の材料を組み合わせて、より華やかな見た目に仕上げる工夫も見られます。
魚のすり身を使った松風焼きは、白身魚の淡白な味わいが特徴で、鶏肉とはまた違った上品さがあります。精進料理の流れを汲む家庭では、こちらが好まれることもあるでしょう。
地域や家庭ごとの違いを知ると、松風焼きという料理の懐の深さが見えてきますね。
鶏ひき肉と味噌が織りなす基本の構成
松風焼きの基本的な材料は、鶏ひき肉、卵、味噌、そして表面を飾るけしの実やごまです。
鶏ひき肉は、もも肉とむね肉を混ぜたものを使うと、旨味とジューシーさのバランスが良くなります。卵はつなぎとして加えますが、一部は表面に塗る照り出し用に残しておきます。
味噌は、白味噌を使うと甘めで優しい味わいに、赤味噌を使うとコクのある力強い味わいになります。みりんや砂糖で甘みを調整し、醤油で塩気を加えることで、冷めても美味しい味付けに仕上げます。
干し椎茸や長ねぎを加える場合は、細かくみじん切りにして、肉ダネに混ぜ込みます。これらの野菜が、味に奥行きを与えてくれるのです。
けしの実は、和菓子材料を扱う店や製菓材料店で入手できますが、最近では白ごまで代用する家庭も増えています。どちらを使っても、表面の香ばしさと食感のアクセントという役割は十分に果たしてくれます。
天板で焼き上げる伝統の調理法
松風焼きの伝統的な調理法は、天板を使ってオーブンで焼き上げる方法です。
まず、鶏ひき肉をボウルに入れ、粘りが出るまでしっかりと練ります。この工程が、焼き上がりの食感を左右する重要なポイントです。粘りが出たら、溶き卵(表面に塗る用を少し残して)、味噌、みりん、醤油などの調味料を加えて混ぜ合わせます。
干し椎茸や長ねぎを加える場合は、この段階で混ぜ込みます。肉ダネがまとまったら、クッキングシートを敷いた天板に広げ、厚さ1.5〜2cm程度に平らにならします。
表面に残しておいた溶き卵を刷毛で塗り、けしの実やごまをまんべんなく散らします。この時、裏面には何も付けないことを忘れずに。これが松風焼きの「裏がない」という特徴を表現する大切な工程です。
180〜200度に予熱したオーブンで20〜30分、表面に美しい焼き色が付くまで焼きます。竹串を刺して透明な肉汁が出てくれば、焼き上がりのサインです。
粗熱が取れたら、食べやすい大きさに切り分けます。冷めても美味しいので、おせち料理として重箱に詰めるのにも最適なのです。
まとめ
松風焼きは、表面にだけけしの実やごまを飾り、裏面には何もないという独特の仕上がりが特徴の和食の焼き物です。「裏がない=正直である」という縁起を担ぎ、おせち料理に用いられてきました。
能楽の演目「松風」に由来する雅な名称には、「浦、寂しい」と「裏、寂しい」を掛け合わせた言葉遊びの美学が込められています。鶏ひき肉に味噌や卵を混ぜ合わせ、天板で焼き上げる調理法は、家庭でも比較的作りやすく、子どもから大人まで楽しめる味わいです。
地域や家庭によって、材料や飾りに違いが見られるのも、この料理の魅力の一つ。伝統を守りながらも、それぞれの家庭の個性が表れる松風焼きは、日本の食文化の豊かさを象徴する一品と言えるでしょう。
新しい年を迎える食卓に、正直で誠実な願いを込めた松風焼きを。その一切れには、日本人が大切にしてきた美意識と、家族の幸せを願う心が詰まっているのです。























