この記事を読むのに必要な時間は約 7 分です。

Table of Contents
はじめに
こんにちは。シェフレピの池田です。今回は、「ローガンジョシュ」についてお話していきたいと思います。
インド料理の中でも、ひときわ存在感を放つ深紅色の煮込み料理があります。それが「ローガンジョシュ」です。カシミール地方の伝統料理として知られるこの一品は、香り高いスパイスの調和と、じっくりと煮込まれた肉の旨味が織りなす、まさに芸術品のような料理です。
カシミールが生んだ深紅の宝石:ローガンジョシュの正体
ローガンジョシュは、にんにく、しょうが、そして香り高いスパイス(チョウジ、ローリエ、カルダモン、シナモンなど)で味付けしたグレイビーで煮込んだラムまたはマトンの蒸し煮料理です。カシミール料理の定番として、カシミール式のコース料理「ワズワン」のメイン料理のひとつとして位置づけられています。
この料理の最大の特徴は、なんといってもその鮮やかな深紅色でしょう。伝統的には、アルカネットの花や根を乾燥させたものを使用して色を出しますが、現代ではカシミール唐辛子がその役割を担うことが多くなりました。カシミール唐辛子は、見た目の鮮やかさとは裏腹に、パプリカに近いマイルドな風味を持っているのが特徴です。
興味深いことに、カシミールではヒンドゥー教徒とムスリムの間で調理法に大きな違いがあります。ムスリムはシャロットや、ケイトウの一種である「マヴァル」の花びらを色づけに使用します。一方、ヒンドゥー教徒はこれらの材料やにんにく、タマネギを避け、代わりにヨーグルトでコクを出すことがあるのです。
ペルシアからムガル帝国、そしてカシミールへ
ローガンジョシュの歴史は、まさに文化の交差点を物語っています。この料理は、もともとムガル帝国の人々によってカシミールに持ち込まれたものです。そして、ムガル帝国の料理自体が、ペルシア料理から強い影響を受けていたのです。
なぜムガル帝国の人々がカシミールを頻繁に訪れていたのか? それは、インドの平野部の厳しい夏の暑さから逃れるためでした。標高と緯度のおかげで涼しい気候を有するカシミールは、まさに避暑地として最適だったのです。そして、この地で生まれた料理は、やがてインド全土へと広がっていきました。
名称の語源も実に興味深いものがあります。「ローガン」は、ペルシア語やウルドゥー語でギー(澄んだバターオイル)を意味し、「ジョシュ」は「煮る」を意味する動詞に由来します。つまり「ギーでシチューにする」という意味になるのです。しかし、別の説では「ローガン」は「赤色」を、「ジョシュ」は「肉」を意味するとも言われています。どちらが正しいのか、今となっては定かではありませんが、この曖昧さもまた、長い歴史を持つ料理の魅力なのかもしれません。
五感で楽しむローガンジョシュ:その魅力的な特徴
ローガンジョシュを前にすると、まず目を引くのはその鮮やかな深紅色です。この色は単なる見た目の演出ではありません。カシミール唐辛子やアルカネットによって生み出されるこの色は、料理の品格と伝統を物語っているのです。
香りはどうでしょうか? 鍋の蓋を開けた瞬間、複雑で芳醇なスパイスの香りが立ち上ります。クローブの甘い香り、シナモンの温かみ、カルダモンの刺激的な香り…これらが絶妙に調和し、まるでスパイスのオーケストラのようです。
そして味わい。一口含むと、最初に感じるのは肉の旨味です。長時間煮込まれたラムやマトンは、ほろほろと崩れるほど柔らかく、スパイスの風味が肉の繊維一本一本にまで染み込んでいます。辛さは控えめで、むしろスパイスの複雑な風味が主役となっています。
食感も忘れてはいけません。とろみのあるグレイビーが肉を優しく包み込み、口の中でとろけるような感覚を生み出します。これは、伝統的な調理法である「ダム・プクト」(パン生地でふたをしてゆっくり熱する方法)によって生まれる独特の食感なのです。
地域で変わる味わい:ローガンジョシュの多様性
カシミール地方で生まれたローガンジョシュですが、インド各地に広がる中で、それぞれの地域独自のアレンジが加えられてきました。
本場カシミールでは、前述のようにヒンドゥー教徒とムスリムで調理法が異なります。ムスリムのバージョンでは、サフランを好んで使用し、より豪華な仕上がりになることが多いです。一方、ヒンドゥー教徒のバージョンでは、フェンネルやアサフェティダを加えることで、独特の風味を生み出しています。
パンジャーブ地方では、トマトを加えるレシピが一般的です。これは伝統的なカシミールのレシピとは異なりますが、トマトの酸味が加わることで、また違った美味しさが生まれます。実際、西洋版のレシピの多くがトマトベースになっているのは、このパンジャーブスタイルの影響かもしれません。
さらに興味深いのは、イギリスのカレー店でのローガンジョシュです。バングラデシュ系の移民が経営する店でも、この料理は定番メニューとして提供されています。もはやカシミール料理の枠を超えて、インド亜大陸を代表する料理として認識されているのです。
素材が奏でるハーモニー:ローガンジョシュの材料と風味
ローガンジョシュの美味しさの秘密は、厳選された材料にあります。主役となる肉は、伝統的にはラムかマトンです。インドでは、ヤギ肉を使うこともありますし、牛肉(特にブリスケット)で作るバージョンも存在します。
スパイスの組み合わせこそが、この料理の真髄です。基本となるのは、にんにく、しょうが、チョウジ、ローリエ、カルダモン、シナモン。これらに加えて、ブラウンカルダモン、アニス、フェンネルなどが使われることもあります。
特筆すべきは、カシミール唐辛子の存在です。この唐辛子は、鮮やかな赤色を与えながらも、辛さは控えめ。むしろ甘みすら感じさせる独特の風味を持っています。伝統的な調理法では、乾燥唐辛子を水に浸してペースト状にして使いますが、現代では粉末状のものを使うことも多くなりました。
グレイビーのベースとなるのは、ヨーグルトやギーです。これらが肉やスパイスと絡み合い、濃厚でクリーミーな味わいを生み出します。レシピによっては、カシューナッツのペーストを加えて、さらにリッチな仕上がりにすることもあります。
伝統が息づく調理法:ダム・プクトの魔法
ローガンジョシュの調理法で最も特徴的なのは、「ダム・プクト」と呼ばれる伝統的な調理技法です。これは、まず肉をスパイスと共に蒸し煮にした後、パン生地で鍋の蓋を密封し、弱火でじっくりと時間をかけて調理する方法です。
この調理法の素晴らしさは、香りと旨味を逃さないことにあります。密封された鍋の中で、肉から出る肉汁とスパイスの香りが循環し、すべての材料が一体となって深い味わいを生み出すのです。まるで、鍋の中で小さな宇宙が生まれているかのようですね。
現代の家庭では、圧力鍋を使って時短調理することも多くなりましたが、やはり伝統的な方法で作られたローガンジョシュには、特別な深みがあります。時間をかけることで生まれる味の複雑さは、急いで作ったものでは決して再現できません。
調理のコツとしては、スパイスを焦がさないこと、肉をしっかりと下処理すること、そして何より、愛情を込めて作ることです。料理は作り手の心が反映されるもの。特にローガンジョシュのような伝統料理は、その傾向が強いように感じます。
まとめ
ローガンジョシュは、単なる肉の煮込み料理ではありません。カシミール地方の涼しい高原で生まれ、ムガル帝国の栄華を経て、今や世界中で愛される料理となりました。
その魅力は、鮮やかな深紅色、複雑で芳醇なスパイスの香り、そして口の中でとろけるような肉の食感にあります。伝統的なダム・プクト調理法によって生み出される深い味わいは、まさに時間と愛情が作り出す芸術品です。
地域によって異なる調理法や材料の違いも、この料理の奥深さを物語っています。カシミールのヒンドゥー教徒とムスリムの違い、パンジャーブ地方のトマトを使ったバージョン、そして世界各地でのアレンジ。これらすべてが、ローガンジョシュという料理の豊かな歴史と文化を表現しているのです。
次にインド料理店を訪れた際は、ぜひローガンジョシュを注文してみてください。その一皿には、何世紀にもわたる歴史と、数え切れないほどの料理人たちの情熱が込められています。きっと、あなたも私と同じように、この深紅の宝石のような料理の虜になることでしょう。
さいごに
シェフレピでは、「ラムスペアリブのローガンジョシュ」のレッスンを公開しております!
ローガンジョシュに合わせる、カリフラワーライスの作り方も必見です。
ぜひこの機会にチェックしてみてください!