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表原 平|ペルトナーレ
徳島県上勝町で、一軒家のイタリア料理店「ペルトナーレ」を営むオーナーシェフの表原平シェフは、「闘う料理人」です。地方のレストランといえば、都会を離れてた田舎で生産者とともに料理ができる理想郷のように映るし、シェフレピの動画のなかの表原さんは、テンション高くておしゃべりもおもしろい料理人なので、「闘い」とは無縁に感じるかもしれません。
徳島市出身だった表原シェフが、あえて山奥の上勝町を選び、2014年12月に店を開いて6年間。それは、「自分らしい料理とは何か」に対する答えを探し求める日々だったといいます。
自分らしさと格闘し続けてきた7年
「上勝町という辺鄙な場所でやっていると、店と産地が近いので、野菜も新鮮なものが届くんですよ。たとえばトウモロコシなんて、採れたらすぐ持ってきてくれる。そういう環境を自分の強みとすることもできるのですが、それよりも僕は、そのトウモロコシをどれだけおいしくできるか、しかも自分らしい料理まで昇華できるかに向かいたいという思いが強いんです。じゃあ、トウモロコシ1本をどれだけ大事にできるんか、みたいなことですよね。それが僕としては大事なんじゃないかと、今のところは思っています」
日本海に面した山形県鶴岡市の「アル・ケッチァーノ」で「地産地消のレストラン」という文化を作り上げたシェフ、奥田政行氏の元で修業してきた表原シェフは、独立後も、師の影響を色濃く残した海の魚中心の料理をペルトナーレで作っていました。もちろん、表原シェフ自身が、「山の中のレストランなのに、なぜ魚を使うのか」という疑問を抱きつつ。
しかし、疑問があっても「まぁ、しょうがない」と思ってそのままにしておくことは、人間によくあること。表原シェフも、しばらくは料理のスタイルを変えずに営業を続けていたといいます。
独立から3年ほど経った頃、表原シェフは、淡路島のイタリアン・レストラン「ラ・カーサ・ヴェッキア」で食事をします。そこで尊敬する料理人で、オーナーシェフの米村幸起氏から「表原くんは、なんで魚を使ってるの?」と聞かれたといいます。
「米村さんは、砂糖以外は全部地元・淡路島のものを使う料理人です。小麦は、自分で栽培してパスタにするし、生ハムも自分で作る。チーズは、淡路島の牛乳で作っているほど。その姿がカッコよくて、尊敬していた大先輩の質問に、僕は答えられなかった。『僕は魚を使った料理しか修業してないんで』としか思い浮かばなかったんですよ。なにより、魚を使わないなんてことは頭になかったですし。でも米村さんは『山で新鮮な平目食べても人は感動せんでしょ』と言われて、『ああ、そうか』と思ったら、僕、次の日から魚を出すのをやめちゃったんですよ」
自分でも疑問に思っていたことを、米村氏のひと言であらわにさせれた表原シェフは、このことをきっかけに、考えないようにしてきた疑問に、一つひとつ答えを出していきます。
たとえば、フォアグラやキャビアといった、イタリアン・レストランでは当たり前に使っていた食材も使うのをやめていきます。上勝町のレストラン「ペルトナーレ」には必要ないと考えたからです。
ゼロ・ウェイストの町で感じるゴミ処理に鈍感な自分
徳島県の中部に位置し周囲を山に囲まれた上勝町は、人口1511人で四国でもっとも人口が少ない町です。さらに町では「ゼロ・ウェイスト(ごみをゼロを目指す)」を掲げており、家庭ゴミを45種類に分別してリサイクル率を高めるだけでなく、町内でゴミ収集をせず町民が自らゴミ処理場に持ち込む取り組みをしています。当然、表原シェフもペルトナーレだけでなく、普段の生活でもその分別のルールを守って暮らしています。
「上勝を離れて、別のところの暮らしを見ると『その捨て方、あかんでしょ』と自然に感じるようになっているんです。それって、僕の中の『当たり前』が変わった瞬間で、良いことだと思うんです。一方で、『なぜその捨て方がダメなのか』っていうのに気づきにくくなるということでもある。それは僕の中では、燃えるゴミと燃えないゴミを一緒に捨てたらダメだけど『でもまぁ、捨てられるしいっか』と捨てているのと、マインドとしてはあまり変わらないと思うんですよね」
「『使わない理由』とともに『使う理由』も自分のなかに持つことが難しかったですね。考えるっていう作業を毎日しています」と表原さん。「物事の根本について思考停止せず、考えることをやめない」、その姿勢こそが表原シェフの人間としてのあり方であり、料理人としてのあり方なのです。一方でチーズやオリーブオイルといったイタリア料理に必要不可欠とされる食材とどう折り合いをつけていくかを納得するのにはかなりの時間を要したといいます。
「『これくらいでいいかぁ』という場面って人生でたくさんあるんです。でも、もう一歩先を目指したいとか、こうなりたいなっていう姿っていうのを、米村さんに見させてもらっていて。かっこいいなぁ、そこまで突き詰められたら楽しいだろうなぁって思っているんです。まだまだ自分もそういう姿を追い求めていたいと思っています」
地方でレストランを開くというなかでの表原シェフ自身に問い続ける「闘い」は、今この瞬間も続いているのです。
目指す着地点が違うから食材のアプローチが変わる
「今回はペルトナーレに来ていただいて料理を食べてもらうわけではないので、ジェノベーゼのトロフィエに、海の食材のサザエを使っています。このレシピは、アル・ケッチァーノ時代に何度も作っていたもので、バジルの風味を全面に出すために、しっかりとしたブロードとサザエやジャガイモといった食材を合わせています。それぞれのバランスが大事なレシピで、それぞれの工程がすごく面倒くさいんですよ。だけど、大変だからっていって、適当に作ることを僕はしないですね」
「料理はいくらでも手を抜くことはできる」と表原さん。しかし、しっかりきれいに打ったトロフィエと、その食感にあわせて火を入れたサザエとジャガイモ、緑がきれいなジェノベーゼを食べると、やっぱり嬉しくなるといいます。
「料理人としての自分は、そうありたいんです。20代の頃は、自分を肯定するために他人を否定するってことを結構よくしてたんですよ。でもそうではないってことに気づいたんです、すべては自分。自分が全部決めるので。誰かと比較して店をやってるわけじゃないですから」
今回のレシピでも、テンション高く楽しく調理の手本を見せてくれていますが、時間をかけて鶏のブイヨンをとったり、トロフィエの成型の仕方を丁寧に見せたり、ナッツのローストの大切さを説いたり、バジルの緑をきれいに出す方法を教えたりと、表原シェフらしい料理の基本が盛り込まれています。
「僕の作り方がすべて正しいっていうことでは絶対ないですし、僕以外の人がジェノベーゼのトロフィエを作っても同じようにおいしく仕上がると思うんです。でもなんで僕はこうするんだろうとか、なんでこの人はこういう作り方をするんだろうっていうことに気付くのが料理が上手になるうえで大事だと思うんです。目指す着地点が違うから食材のアプローチが変わる。大事なのは『自分がこういう料理を作りたい』って思った時に、どういうプロセスを踏めば到達できるのかを知っていること。それが料理の上達への近道だと思うのです」
プロセスをいくつも持つためには、まずは真似をしてみることがいいと表原シェフ。「この作業をするとこんな味と香りになる」というプロセスを得ていくことを、繰り返していくことが、料理の上達の近道だといいます。
「今回のレシピを通じて、『表原はこういう料理を作りたかったのか』ってことをプロセスを経ることで感じてもらえたら、なおうれしいですね」という表原シェフのレシピを体験してみてください。
表原 平●おもてはら・たいら
1989年、徳島市生まれ。高校生の頃、板前だった兄の影響で料理人を志す。卒業後、調理師学校には進学せず佐川急便株式会社に入社、21歳まで勤めた後、単身東京へ。フランス料理店で働いた後、奥田政行氏がオーナーシェフを務めるアル・ケッチァーノに入社。東京スカイツリーのソラマチに2012年にオープンした「LA SORA SEED(ラ・ソラシド)」(当時)の立ち上げに携わった後、アル・ケッチァーノがプロデュースする淡路島の野島で廃校になった学校を使った複合施設「のじまスコーラ」のレストランで2年間従事した後、2014年12月に徳島県上勝町に「ペルトナーレ」を開き、独立した。
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