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はじめに
こんにちは。シェフレピの池田です。今回は、「棒棒鶏(バンバンジー)」についてお話ししていきたいと思います。日本では、蒸した鶏肉にゴマだれをかけた冷菜として親しまれている棒棒鶏。しかし、この料理の本場である中国四川省では、唐辛子の辛味を利かせた全く異なる味わいなのです。
「棒棒鶏」という独特な名前には、調理法に由来する興味深い物語が隠されています。木の棒で鶏肉を叩くという、一見すると不思議な工程が、この料理の原点なのです。
木の棒で叩く鶏肉──名前に込められた調理の知恵
棒棒鶏は、中国四川省を代表する冷菜の一つです。繁体字では「棒棒雞」、簡体字では「棒棒鸡」と表記され、拼音では「bàngbàngjī」と読みます。日本では「バンバンジー」というカタカナ表記が一般的ですね。
この料理の最大の特徴は、その名前の由来にあります。「棒棒」とは文字通り「棒」を意味し、蒸した鶏肉を木の棒で叩いて柔らかくし、食べやすく裂いていたことから名付けられました。
なぜ棒で叩くのか?茹でたり蒸したりすることで水分が抜けて固くなった鶏肉を、物理的に叩くことで繊維をほぐし、柔らかな食感に変えるという先人の知恵なのです。しかし現在では、実際に鶏肉を棒で叩いて提供する店舗はほぼ皆無となっています。調理技術の進化により、棒で叩かなくても柔らかく仕上げる方法が確立されたためでしょう。
本場中国では鶏肉のみで他の具を加えないのが一般的で、四川料理らしく唐辛子の辛味を利かせた味付けが特徴です。一方、日本ではクラゲやトマト、キュウリなどの具を加えることも多く、より食べやすくアレンジされています。
1920年代、楽山から成都へ──棒棒鶏の歴史的変遷
棒棒鶏の発祥については、いくつかの興味深い説が伝わっています。
最も有力とされるのは、現在の四川省眉山市青神県漢陽鎮、または楽山市(嘉定府)が発祥地という説です。1920年代に楽山漢陽から四川省の成都に伝えられたとされており、約100年の歴史を持つ料理と言えます。
清朝後期には、こんなエピソードが残されています。四川省嘉州のとある家庭で、客人に冷菜を出すために丸鶏を茹でたところ、鶏の脚を縛っていた麻紐が締まってほどけなくなってしまいました。難儀する母親を見かねた息子が、鶏を棒で叩いたところ、麻紐はともかく、肉が驚くほど柔らかくなったのです。母を助けるための偶然の行動が、名物料理を生み出したというわけですね。
別の説では、明・清の時代に現在の四川省雅安市で美食家が料理を開発したとされています。当時の鶏肉は贅沢品であり、新年や祭日にだけ食べられる貴重な食材でした。そこで薄切りにして少量販売することにしたのですが、いざ切り分けてみると各肉片の大きさが不揃いとなり、客は大きな肉片のみを選んで購入してしまいます。これでは利益が出ないため、「棒」を基準として刻み、大きさを均等にしたという説もあります。
いずれの説も、「棒」という道具が料理の名前に深く関わっていることは共通していますね。
辛さと痺れ──本場四川の棒棒鶏が持つ味の個性
棒棒鶏の主な特徴は、その調理法と味付けにあります。
まず調理法ですが、鶏肉を蒸すか茹でた後、手で細かく裂くのが伝統的な方法です。包丁で切り分ける方法もありますが、手で裂くことで調味料が絡みやすくなるという利点があります。元々の作り方では、この裂く工程の前に棒で叩いて柔らかくしていたわけです。
味付けは、芝麻醤(チーマージャン)、醤油、砂糖、酢、ラー油を混ぜ合わせた「四川ソース」や「怪味ソース」をかけるのが本場のスタイルです。怪味ソースとは、甘味、酸味、辛味、塩味、旨味が複雑に絡み合った、まさに「怪しい味」という意味を持つ万能調味料。この複雑な味わいこそが、四川料理の真骨頂と言えるでしょう。
類似料理に「よだれ鶏」がありますが、こちらは切り方が異なります。棒棒鶏が細切りまたは細かく裂くのに対し、よだれ鶏は厚めにスライスするのが一般的です。
本場の棒棒鶏は、唐辛子の辛味と花椒の痺れるような刺激が特徴的で、日本で一般的なマイルドなゴマだれ風味とは全く異なる味わいなのです。
日本と中国で異なる味わい──地域による棒棒鶏の変化
棒棒鶏が日本でポピュラーになったのは、麻婆豆腐やエビチリといった他の四川料理と同様、「中華料理の父」と呼ばれる陳建民氏による功績が大きいと言われています。
かつての日本では、大量のラー油や唐辛子などを用いた激辛料理を受け入れる素地ができていませんでした。そのため、担担麺のように日本人が食べやすいようにアレンジしていった結果、ゴマだれ風味に落ち着いたのではないかと推測されています。
日本版の棒棒鶏は、辛味を抑えた甘めのゴマだれが主流で、クラゲやキュウリ、トマト、レタスなどの野菜を添えることも多くなっています。これにより、サラダ感覚で楽しめる冷菜として定着したのです。
一方、本場中国では鶏肉のみをシンプルに盛り付け、辛味の強いソースをたっぷりとかけるスタイルが基本。葱の細切りを添える程度で、他の具材はほとんど加えません。
この違いは、文化的な味覚の差異を如実に表していますね。日本人は辛味よりも旨味とコクを重視し、野菜との組み合わせでバランスを取る傾向があります。対して四川料理は、辛味と痺れを前面に押し出し、鶏肉の旨味を引き立てる調味料の妙技を楽しむのです。
鶏むね肉と芝麻醤──棒棒鶏を構成する主要食材
棒棒鶏の主要な材料は、実にシンプルです。
鶏肉が主役で、むね肉またはささみを使用します。むね肉は脂肪が少なく淡白な味わいで、冷菜に適しています。ささみはさらに脂肪が少なく、柔らかな食感が特徴です。どちらを選ぶかは好みですが、本場では丸鶏を使用することもあります。
芝麻醤(チーマージャン)は、中国のゴマペーストで、日本の練りゴマよりも油分が多くなめらかな質感を持ちます。これが棒棒鶏のソースのベースとなり、濃厚なコクと香ばしさを生み出します。
調味料としては、醤油、酢、砂糖、辣油が基本です。本場では花椒油を加えることで、痺れるような刺激を加えます。日本版では、これらに加えてマヨネーズやすりゴマを混ぜることもあり、よりマイルドな味わいに仕上げます。
葱は、細切りにして鶏肉の上に散らします。葱の爽やかな香りと辛味が、濃厚なソースの味わいを引き締める役割を果たすのです。
日本では、これらに加えてキュウリ、トマト、クラゲなどを添えることで、彩りと食感のバリエーションを増やしています。シンプルな食材だからこそ、調味料の配合と鶏肉の仕上がりが味の決め手となるのです。
蒸して裂いてソースをかける──伝統的な棒棒鶏の調理法
伝統的な棒棒鶏の調理法は、意外とシンプルです。
まず、鶏肉を蒸すか茹でます。蒸す場合は、鶏肉に酒や生姜を加えて蒸し器で15〜20分ほど加熱します。茹でる場合は、沸騰したお湯に鶏肉を入れ、再び沸騰したら火を止めて余熱で火を通す方法が、肉をパサつかせずに仕上げるコツです。
鶏肉が冷めたら、手で細かく裂きます。包丁で切るよりも、手で裂いた方が繊維に沿って割けるため、ソースが絡みやすくなるのです。元々は、この工程の前に木の棒で叩いて柔らかくしていました。棒で叩くことで繊維がほぐれ、より柔らかな食感になるわけですね。
次に、ソースを作ります。芝麻醤に醤油、酢、砂糖、ラー油を加えてよく混ぜ合わせます。本場では花椒油や唐辛子を加えて辛味を強めますが、日本では辛味を控えめにし、すりゴマやマヨネーズを加えることもあります。
最後に、裂いた鶏肉を皿に盛り付け、葱の細切りを散らし、ソースをたっぷりとかければ完成です。
調理法自体は難しくありませんが、鶏肉を柔らかく仕上げることと、ソースの味のバランスを取ることが、美味しい棒棒鶏を作る鍵となります。現代では棒で叩く工程は省略されることがほとんどですが、その名残が料理名に残っているのは興味深いですね。
まとめ
棒棒鶏は、木の棒で鶏肉を叩いて柔らかくするという独特な調理法から名付けられた、四川省発祥の冷菜です。1920年代に楽山から成都に伝わり、約100年の歴史を持つ伝統料理として親しまれてきました。
本場中国では、唐辛子と花椒の辛味と痺れが特徴的な四川料理らしい味わいですが、日本ではマイルドなゴマだれ風味にアレンジされ、広く受け入れられるようになりました。この変化は、文化的な味覚の違いを反映したものであり、料理が国境を越えて進化する過程を示す好例と言えるでしょう。
シンプルな材料と調理法でありながら、ソースの配合と鶏肉の仕上がりによって味わいが大きく変わる奥深さを持つ棒棒鶏。本場の辛味を楽しむもよし、日本風のマイルドな味わいを楽しむもよし。
家庭でも比較的簡単に作れる料理ですので、ぜひ一度、自分好みの味付けで棒棒鶏を作ってみてはいかがでしょうか。伝統的な調理法を尊重しつつも、現代の食のシーンに合わせた進化も見られる点は興味深いですね。