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はじめに
山梨県を代表する郷土料理「ほうとう」。幅広い麺とたっぷりの野菜を味噌仕立ての汁で煮込んだこの料理は、県民にとって「おふくろの味」であり、観光客にとっては山梨を訪れたら必ず食べたい名物料理です。
「うまいもんだよかぼちゃのほうとう」という言葉があるほど、誰もが知る山梨の味。しかし、ほうとうがどのようにして生まれ、なぜこれほどまでに愛され続けているのか、その背景を知る人は意外と少ないかもしれません。
初めてほうとうを食べたとき、その素朴ながらも深い味わいに驚いたことを今でも覚えています。味噌の塩気とかぼちゃの甘味が渾然一体となった汁、とろみのある食感、そして何より心まで温まるような優しさ。一口食べれば、なぜこの料理が何百年も愛され続けてきたのか、その理由が自然と理解できるのです。
山梨の風土が育んだ主食文化
ほうとうとは、小麦粉を練って平らに切った「ほうとうめん」を、かぼちゃをはじめとする野菜とともに味噌仕立ての汁で煮込んだ料理です。2007年には農林水産省により「農山漁村の郷土料理百選」の一つに選ばれており、山梨県の食文化を象徴する存在となっています。
一見するとうどんに似ていますが、ほうとうとうどんは明確に異なる料理です。最も大きな違いは製法にあります。うどんは小麦粉に塩を加えて練り、生地を寝かせてからコシを出して切りますが、ほうとうは塩を入れず、寝かせることもありません。打ち粉をつけたまま、切ってすぐに煮込むのがほうとう流。
この製法の違いが、ほうとう独特の食感を生み出します。麺は煮崩れしやすく、打ち粉が汁に溶け出すことでとろみがつく。このとろみこそが、ほうとうの大きな魅力なのです。
山梨県では、ほうとうはあくまで「ほうとう」であり、「うどん」とは別物として認識されています。かつて山梨では「ほうとうを打てないと嫁に出せない」という文化もあったほど、家庭料理として深く根付いていました。
平安の昔から続く味の系譜
ほうとうの起源は、平安時代に中国から禅宗とともに伝わってきた「餺飥(はくたく)」にあるとされています。捏ねた小麦粉を麺棒で細長く延ばし、煮込んだうどんのような食べ物で、この「はくたく」の音が転じて「ほうとう」になったと考えられています。
山梨県は山間部が多く、稲作に適さない土地が広がっていました。そのため、米に代わる主食として小麦粉を使った粉食文化が発達します。近世には養蚕の普及により桑畑が増え、田地が集約されたことで、裏作での麦の栽培が一般的になりました。
こうした背景の中で、ほうとうは経済的で栄養価も高い料理として広まっていきます。各種野菜や汁で増量できるため小麦の使用量が少なく済み、しかも味が良い。山梨の風土と人々の知恵が生み出した、理にかなった料理だったのです。
文化12年(1815年)に甲斐を訪れた修験者・野田泉光院の旅日記『日本九峯修行日記』には、「ほうとう」が甲斐国の「名物」であったと記されています。すでに江戸時代には、ほうとうが山梨を代表する料理として認識されていたことがわかりますね。
また、山梨県の郷土の英雄である武田信玄が、ほうとうを野戦食として用いたという逸話も残っています。真偽のほどは定かではありませんが、この伝説がほうとうの人気をさらに高めていることは間違いありません。
素朴さの中に宿る奥深い味わい
ほうとうの最大の特徴は、その素朴ながらも奥深い味わいにあります。味噌仕立ての汁は、かつては各家庭で手作りされた「甲州味噌」で作られていました。甲州味噌は米麹と麦麹の両方を使って仕込んだもので、独特の風味を持っています。
そこにかぼちゃを煮崩して溶かすことで、味噌の塩気とかぼちゃの甘味が渾然一体となった、何とも言えない深い味わいが生まれます。ただし、かぼちゃを溶かすまで煮るかどうかは地域差があり、甲府盆地周辺では溶かすまで煮るのが良しとされますが、南部地域などではそこまでは煮ないそうです。
出汁は煮干しで取り、家庭では出し殻もそのまま入れられます。具材は野菜が中心で、夏はネギ、タマネギ、ジャガイモなど、冬はかぼちゃ、サトイモ、ニンジン、ハクサイ、そしてシイタケやシメジなどのキノコ類。季節の野菜をたっぷりと使うことで、ビタミン類や繊維質に富み、小麦粉や芋類によるデンプン質、味噌によるタンパク質もバランスよく摂れる、栄養面でも優れた料理となっています。
一般的に家庭で作る場合は肉ではなく油揚げを入れます。観光客向けの郷土料理店では鶏肉、豚肉、カキ、タラなどを入れることもありますが、元来は野菜と油揚げのみで構成されていました。
大鍋で作ることが多いため、余ったほうとうは翌日の食卓に再び上ります。この「沸かし返し」は、とろみが出て味も熟れてくるため、作りたてより好む人も多いのです。私も個人的には、二日目のほうとうの方が好きですね。
家庭の味から観光資源へ
山梨県内では、ほうとうは現在でも日常的な料理として認識されています。ただし、食生活の変化や核家族化により、一般家庭で食卓に上る頻度は以前より下がってきているのも事実です。
かつては麺を打つところから家庭で行い、大鍋に大量に作れ、調理法が簡易であることから、大家族の食を賄うことができる日常食でした。麺の加減や煮込む具材など、家々毎に「おふくろの味」があったのです。
現在では山梨県を中心にほうとう専用の生麺が流通しており、全国のスーパーでも手軽に購入できます。自家用に麺を打つことは少なくなり、製法や味も画一化される傾向にありますが、それでも山梨県民にとってほうとうは特別な存在であり続けています。
一方で、外食産業としてほうとうを扱う店も数多く存在します。一般的なほうとうのみを扱う店から、小豆ぼうとうやチゲほうとうなど変わり種を提供する店、カキやスッポン、カニを入れる店など、その種類は多彩です。
料理店では1人分ずつ鉄鍋で、鍋料理や鍋焼きうどんのような体裁で供されることが多いため、県外の人からは「うどんの一種」または「鍋料理」と認識される場合があります。しかし、県内の家庭では家族分を大鍋で作り、どんぶりか味噌汁椀に一食分が盛られ、主食として供されるのが一般的です。
広がるほうとう文化圏
ほうとうに類似した料理は、山梨県だけでなく周辺地域にも存在します。隣接する長野県・静岡県、埼玉県秩父地方、群馬県には「おっきりこみ」や「煮ぼうとう」といった醤油味の煮込み麺料理があり、山梨県同様に近代に養蚕業が発達したこれら地域では、広範な平打ち麺文化が形成されています。
長野県安曇野地方では旧暦の七夕に「七夕ほうとう」を食べる習慣があり、こちらはきな粉や小豆で味付けされています。また、北信地方の一部地域では冬至に甘く味付けされたかぼちゃ入り小豆ぼうとうを食べる習慣があります。
こういった広範な地域に及ぶほうとう文化をさらに活性化させ、観光資源化を推進するため、2004年からは埼玉県深谷の「煮ぼうとう」、群馬の「おっきりこみ」、秩父の「ほうとう」の味対決イベントが行われています。
東北地方の旧南部藩地域には「ひっつみ」、旧仙台藩北部には「はっと」と呼ばれる、ほうとうやすいとんと同様の粉食料理が伝わっており、例年「全国はっとフェスティバル」が宮城県登米市で開催されています。
また、「武田信玄の陣中食だったほうとうが、武田家滅亡後に徳川家に召し抱えられた武田家遺臣によって尾張徳川家領内に伝えられ、名古屋の味噌煮込みうどん、きしめんの起源となった」という俗説もあります。史料による裏付けはありませんが、こうした伝説が各地の麺文化の繋がりを想像させてくれるのも面白いですね。
伝統を守り、進化し続ける調理法
ほうとうの伝統的な調理法は、シンプルながらも奥が深いものです。生地は木製のこね鉢で水分を加えた小麦粉を素手で練り、出来上がった生地はのし棒を使って伸ばされ、折り重ねて包丁で幅広に切り刻みます。
うどんと異なり、生地にはグルテンの生成による麺のコシが求められず、生地を寝かせる手法は少ないのが特徴です。また塩も練り込まないため、麺を湯掻いて塩分を抜く手順が無く、腰麺の状態から煮込むところに特色があります。そのため、汁にはとろみが付くのです。
現在では家庭用の市販品が広く流通しており、うどんより幅広く、やや薄い形状をしています。料理店ではボリューム感を出すために極広厚の麺を使うことが多く、また麺ではなく「みみ」と呼ばれる特殊な形状をしたものを用いる場合もあります。みみを用いた場合は別に「みみぼうとう」と呼ばれ、すいとん料理に近い食感になります。
汁は味噌仕立てが基本ですが、現在では米麹だけの信州味噌等の市販品を使う家庭が多くなっています。それでも、麹を好みの配合で手作りしたものや、県内の醸造所で作られている甲州味噌を使っている家庭もあり、伝統の味を守り続けている人々もいます。
まとめ
ほうとうは、平安時代から続く長い歴史を持ち、山梨県の風土と人々の知恵が生み出した郷土料理です。米作が困難な山間部で主食として親しまれ、武田信玄の野戦食としても用いられたという逸話を持つこの料理は、今もなお山梨県民の心の中に深く根付いています。
小麦粉を練って平らに切った麺を、かぼちゃをはじめとする野菜とともに味噌仕立ての汁で煮込む。そのシンプルな調理法の中に、味噌の塩気とかぼちゃの甘味が渾然一体となった奥深い味わいが宿っています。うどんとは異なる独特の食感、とろみのある汁、そして栄養バランスの良さ。ほうとうが何百年も愛され続けてきた理由は、その素朴さの中にこそあるのです。
かつては各家庭で麺を打ち、大鍋で作られていた「おふくろの味」は、時代とともに変化しながらも、山梨県の食文化の中心であり続けています。観光資源としても注目を集め、周辺地域との交流も深まる中で、ほうとうは伝統を守りながら新しい進化も遂げています。
山梨を訪れた際には、ぜひ本場のほうとうを味わってみてください。そして可能であれば、家庭でも作ってみてはいかがでしょうか。大鍋で作り、翌日に沸かし返して食べる。その時、あなたも山梨の人々が何世代にもわたって愛してきた味の深さを、きっと理解できるはずです。
 
                    












 
							 
							 
							 
							 
							 
							 
							 
							 
							 
							









