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はじめに
こんにちは。シェフレピの池田です。今回は、「ラグー」についてお話ししていきたいと思います。イタリア料理店でメニューを眺めていると、必ずと言っていいほど目にする「ラグー」という言葉。この響きの良い名前の料理は、実はイタリアの食文化を語る上で欠かせない、歴史ある煮込み料理なのです。肉や野菜をじっくりと煮込んで作られるラグーは、単なるソースではなく、イタリア各地の風土と歴史が凝縮された一皿と言えるでしょう。
ラグーとは?語源から紐解く煮込み料理の本質
ラグーという名前、実はフランス語の「ragoût(ラグー)」が語源となっています。これは「煮込む」という意味を持つ言葉で、18世紀にナポレオンの北イタリア侵攻とともにイタリアに伝わったとされています。当時の裕福な貴族階級はフランス文化に魅了されており、この調理法を積極的に取り入れたのです。
しかし、ラグーは単純にフランス料理のコピーではありません。イタリア人はこの調理法を自分たちの食文化に見事に融合させ、独自の進化を遂げさせました。肉、魚介類、野菜などを細かく切って長時間煮込むという基本は同じでも、使用する食材や調理法は地域によって大きく異なります。まさに”イタリアらしさ”が詰まった料理へと変貌を遂げたのです。
現代では、ラグーは「肉や野菜を小さく切って煮込んだソース全般」を指す言葉として定着しています。パスタソースとしてのイメージが強いですが、実はそれだけではない奥深い世界が広がっているのです。
18世紀から続く歴史:貴族の食卓から庶民の味へ
ラグーの歴史を辿ると、イタリアの社会変化が見えてきます。最初の記録は、イモラ枢機卿の料理人、ロベルト・アルヴィージによる「ragù per i maccheroni(マカロニ用ラグー)」のレシピ。これは「枢機卿のラグー」として出版され、上流階級の間で人気を博しました。
19世紀後半になると、肉の価格高騰により、ラグーは祝祭日や日曜日だけの特別な料理となります。統一されたばかりのイタリアでは、まだまだ贅沢品だったのです。しかし産業革命による技術進歩で小麦粉が安価になり、第二次世界大戦後の経済成長期を経て、ついに一般家庭の食卓にも広がるようになりました。
かつて農村人口の80%が植物中心の食事をしていた時代から、今では誰もが楽しめる料理へ。ラグーの歴史は、まさにイタリアの近代化の歴史そのものと言えるでしょう。貴族の贅沢から庶民の味へ。この変遷こそが、ラグーを真のイタリア料理たらしめているのかもしれません。
北と南で異なる個性:地域ごとのラグーの特徴
イタリアを旅すると、同じ「ラグー」でも地域によって全く違う料理が出てくることに驚かされます。これこそがイタリア料理の魅力ですよね。
北イタリアではひき肉を使い、ソテーした香味野菜とともに煮込みます。トマトは控えめで、肉の旨味を前面に出すのが特徴。ブイヨンやワイン、時にはミルクやクリームも加えて、複雑な味わいを作り出します。「ragù in bianco(白ラグー)」と呼ばれるトマトを使わないバージョンも存在し、これがまた絶品なんです。
一方、南イタリアのラグーは豪快そのもの。牛肉や豚肉の塊肉、地元のソーセージをトマトとともにじっくり煮込みます。長時間の調理後、肉は取り出してセコンドピアット(メイン料理)として、ソースはパスタにかけて楽しむ――まるで一石二鳥の料理法です。ナポリの「ラグー・ナポレターノ」は、その代表格と言えるでしょう。
地域性は、使用する肉の種類にも表れています。牛、豚、鶏はもちろん、鴨、ガチョウ、仔羊、さらにはジビエや内臓肉まで。その土地で手に入る最高の食材を使うという、イタリア料理の基本精神がここにも表れています。
ミートソースとは別物?ラグーの多彩なバリエーション
「ラグーってミートソースのことでしょ?」――いえいえ、それは大きな誤解です!確かに日本でミートソースと呼ばれるものは、ラグーの一種「ボロネーゼ」がベースになっていますが、本場のラグーははるかに多様で奥深いのです。
まず、最も有名な「ラグー・ボロネーゼ」。ボローニャ発祥のこのソースは、牛肉と豚肉を使い、パンチェッタ(豚バラの塩漬け)で旨味を加えます。トマトは少量で、肉の味わいが主役。対して「ラグー・ナポレターノ」は、大きな肉の塊をトマトたっぷりで煮込む南イタリアスタイル。
さらに「ラグー・ディ・サルシッチャ」はソーセージを使った変わり種。地域ごとの特産ソーセージを使うため、味わいも千差万別です。魚介類を使った「ラグー・ディ・ペッシェ」なんていうのもあるんですよ。これらはもはや、単なる”ソース”という枠を超えた、立派な煮込み料理と言えるでしょう。
基本材料が生み出す深い味わい
ラグーの美味しさの秘密は、シンプルな材料を丁寧に調理することにあります。基本となるのは、肉、野菜、そして煮込み用の液体。これだけ聞くと簡単そうですが、実は奥が深いんです。
肉は種類や部位によって全く違う味わいに。牛肉なら赤身の旨味、豚肉ならコクと甘み、鶏肉なら優しい風味――それぞれの特徴を活かしながら、時には複数を組み合わせて複雑な味を作り出します。野菜は「ソフリット」と呼ばれる香味野菜(玉ねぎ、人参、セロリ)が基本。これらをじっくりと炒めることで、甘みと香りの土台を作るのです。
煮込み液も重要な要素です。ワインでアルコールの風味を加え、ブイヨンで旨味を補強。トマトは酸味と甘みのバランスを整え、時にはミルクやクリームでまろやかさを演出します。これらの組み合わせと配分こそが、各家庭、各レストランの”秘伝の味”となるわけです。
魚介類のラグーなら、エビやイカ、貝類を使い、白ワインとトマトで軽やかに仕上げます。肉のラグーとは全く違う、海の恵みを感じる一皿になるんですね。
じっくり煮込む伝統の調理法
ラグーの調理で最も大切なのは「時間」です。急いで作ろうとしても、あの深い味わいは生まれません。本場の調理法を見てみましょう。
まず、肉に焼き色をつけることから始まります。この工程で肉の表面をこんがりと焼き固め、旨味を閉じ込めるんです。次に香味野菜をじっくりと炒めます。野菜から水分が出て、甘みが凝縮されていく様子は、まさに料理の醍醐味。ワインを加えてアルコールを飛ばし、トマトや煮込み液を加えたら、あとは弱火でコトコト。最低でも2時間、理想的には3〜4時間は煮込みたいところです。
煮込み中は時々かき混ぜながら、水分が飛びすぎないよう調整します。肉がほろほろと崩れ、野菜が溶け込んで一体となった時、ようやくラグーの完成です。この”待つ”という行為こそが、現代の忙しい生活では贅沢な時間なのかもしれませんね。
保存方法も重要です。実はラグーは作り置きに最適な料理。冷蔵なら3〜4日、冷凍なら1ヶ月は保存可能です。むしろ一晩寝かせた方が味が馴染んで美味しくなるとも言われています。週末にまとめて作っておけば、平日の夕食が豊かになります。
まとめ
ラグーという料理は、単なるパスタソースではなく、イタリアの歴史と文化、そして各地域の個性が詰まった奥深い煮込み料理だということがお分かりいただけたでしょうか。
フランス語の「煮込む」を語源としながら、イタリア各地で独自の進化を遂げたラグー。北イタリアの繊細なひき肉のラグーから、南イタリアの豪快な塊肉のラグーまで、その多様性はイタリア料理の豊かさそのものを表しています。貴族の食卓から始まり、今では家庭の味として愛される存在となったその歴史も、また興味深いものでした。
次にイタリア料理店でラグーを見かけたら、ぜひその地域性や調理法に思いを馳せてみてください。そして機会があれば、ご自宅でもじっくりと時間をかけて本格的なラグー作りに挑戦してみてはいかがでしょうか。きっと、その深い味わいと調理の楽しさに、新たな料理の世界が広がるはずです。
さいごに
ラグーの奥深い世界、いかがでしたでしょうか。肉に焼き色をつけ、香味野菜をじっくりと炒め、3〜4時間もの時間をかけて煮込む――この「待つ」という贅沢な時間こそが、本格的なラグーの醍醐味なのです。特にソフリット(炒め香味野菜)の仕込みは、プロの料理人が最も大切にする工程の一つ。関口シェフのレッスンでは、なんと2日間かけて究極のボロネーゼを作ります。黒くなるまでじっくり炒めた香味野菜の深い旨味、肉のゴロゴロとした食感、そして極太の手打ちパスタ「ピチ」との絶妙な組み合わせ。長年作り続けてきたシェフだからこそ伝えられる、本物のラグーの技術がここにあります。ぜひこの機会にチェックしてみてください!