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大野尚斗|フランス料理人
和牛のなかでも特に黒毛和種は、脂(サシ)が多く西洋料理には向かないという意見があります。
実際、フランス料理をベースに、世界各国の料理を体得してきた大野尚斗シェフも、ロースやフィレ、肩ロースといったやわらかくて脂が入った部位は、薄くスライスしてすき焼きやしゃぶしゃぶ、焼肉などで食べるのがもっとも適した食べ方だといいます。
鹿児島県大崎町のブランド牛「大崎牛(おおさきうし)」も、品種は黒毛和種ですので、外食や内食ともに需要が高い部位は、ロースやフィレ、肩ロースです。
「大崎牛のポトフ」
売り先の少ない部位にシェフが価値をつけていく
「牛一頭から人気の部位だけが売れていった場合、モモやスネといった部位は、どうなるのでしょうか。実際、昨年も大崎町で地元の料理家さんなどと一緒に料理教室をしたときに、モモなどの塊肉の焼き方をお教えしたのですが、みなさん塊肉の美味しさに驚かれていました。今回、お肉を提供していただいている『肉のたかしや』の前田隆博さん(後述の高田隆さんの長男)からも、売れ残ってしまう部位も価値をつけていきたいという声を聞いていました」
大崎町で開いた料理教室。(写真提供:大崎町)
たとえばフランス料理では、今回のポトフは本来、スネ肉やスジ肉などの焼いては食べられない部位を煮込んでやわらかくして食べるという工夫が凝らされた料理です。今回大野シェフがとったコンソメも同様に、調理しづらい部位を、しっかりうま味を抽出して、おいしく食べるための伝統的な手法でもあります。
「とくに大崎牛のクリアで透明なうま味は、今回使ったようなスネ肉や端肉などをしっかり煮出して澄ますコンソメが一番良さを引き出せると思っています。じっさいに、高田畜産の親子お二人にお会いしてお話を聞いてみて、ものすごく気持ちを持って育てられていたのを知っているので、大崎牛のすべてを無駄にすることなく、全部料理したいと思い今回のレシピを考案しました」
クリスマスや年越しといった行事も続き、大切な人との食事のシーンが多い11月末から年末年始に、大崎牛の魅力を存分に楽しめるレシピになっています。
「料理の完成しやすさを考えると真空包装して温度計を使いながら調理する方法もあります。しかし今回は、あえて金串を使って中心の火の入り具合を確認してもらうなど、五感を使ったアナログな調理を紹介しています」
それは大野シェフ自身のスタイルでもあり、五感を使って料理をするおもしろさを伝えたいという思いもあります。
「毎日食材に触れていると、同じ食材でも形や状態が違うんですね。そうすると、おのずと食材にあわせて調理を変えていく必要がある。今回のように大崎牛を網脂で包んできれいに形を整えるのも、詰め物をして巻き込んだファルスに火を入れていくのも、食材の状態をつねに感じながらおこなっていかないとうまくいかないので、工程としては難しいとは思います。しかし今回動画でお伝えしたように、数字や手順にとらわれすぎず『食材を感じる』ことができれば、料理の楽しさがさらに広がっていくと思います」
大崎牛の端肉やスジ肉でコンソメをとる。
フォワグラを巻いた大崎牛のモモ肉を網脂で包み焼きあげる。
「クリアできれい」大崎町の食材は清涼な水が背景にある
山手線の内側のおよそ1.5倍の町域に1万2000人が暮らす大崎町は、畜産や農業、鰻の養殖などが主な産業です。町内全域は、火山灰などが堆積してできたシラス台地の上にあり、高隈山系の豊富な伏流水が濾過されて清涼で豊富な地下水脈を生みだしています。
世界35ヵ国以上を旅しながら料理をし、さまざまな食材に触れてきた大野尚斗シェフが、大崎牛だけでなく大崎町の食材全般に対して「ピュアできれい。雑味がない」と感じる背景には、こうした水の恵みが大きく関係しています。
「もちろん、この温暖な気候で暮らす大崎町のみなさんのやさしさや穏やかな心も食材に大きく反映していると思います。僕は、日本全国の生産者さんの元を訪ねていると、良い食材を作るのは、その土地の風土とそこに生きる方々によるものだということをいつも感じます。食材は、土地と人が作るんだと思います」
大野さんがいうように良質な農作物が育つ条件が揃った大崎町では、古くから農耕が中心産業でした。
そのため高度成長期以前までは、現代のトラクターや耕運機の役目を牛や馬が担っていたといいます。農業中心の地域だからこそ、その暮らしに密着した存在として、牛が存在したのです。
そうした歴史的背景もあり大崎町では、畜産が町の主要産業になっているのです。
大崎町を訪れた大野シェフ。志布志湾にて。
(写真提供:大崎町)
前田さん親子が育てる大崎牛は、温厚でやさしい顔をしている。
(写真提供:大崎町)
“DNAから大崎町”といえる大崎牛が地域を支える
現在の一般的な肉牛の飼育は、分業化されています。優良な血筋を選抜して体外受精によって受精卵を作る人工授精所から、卵を買って妊娠・出産させて仔牛を育てる繁殖農家があり、繁殖農家から仔牛を買って大きく育てる肥育農家が別々に存在します。
ちなみに仔牛の売買は、全国の各地域にある仔牛の競りで行われます。そのため、繁殖農家が九州で、肥育農家が本州ということもあります。この場合、どちらの産地がブランドになるかというと、基本的には肥育された場所が産地の名前になります。
なお近年では、繁殖と肥育を一貫して行うことによって、環境変化によって生まれるストレスをなくし、牛にとってより良い環境で育てようとする農家も増えてきています。
しかし、なかなかその数が増えないのは、それぞれの専門性が異なることや、一貫して行うことで万が一病気になって牛が死んでしまったときのリスクが分散されないなどの課題があり、なかなか簡単にできることではありません。もちろん、膨大な設備投資も必要です。
そういった意味では、大崎町のブランド牛「大崎牛」は、受精卵は大崎町の人工授精所「羽子田人工授精所」でとられたもの。その受精卵を大崎町の「前田畜産」が受け取り繁殖・肥育を経て肉にしていきます。生まれも育ちも大崎町の牛という全国的にも珍しい、地域で一貫して育つ牛です。
羽子田人工授精所の羽子田幸一さん(左)。
(写真提供:大崎町)
受精卵は、液体窒素で瞬間冷凍される。
(写真提供:大崎町)
さらに受精卵を作る上で重要になる、牛の両親についても三代祖(曽祖父)までに羽子田人工授精所、つまり大崎町で生まれ育った牛であることが条件のひとつになっており、まさに「大崎町で生まれ育った牛」ということができます。
もともと鹿児島県には、和牛オリンピックともいわれる「全国和牛能力共進会」で日本一に何度も輝いた経験がある「鹿児島黒牛」というブランド牛があります。
この鹿児島黒牛には「鹿児島県における飼養期間が最長かつ最終飼養地であること」という条件があり、たとえ地域で種から一貫して育てたとした牛でも、最終的には「鹿児島黒牛」として出荷されてしまいます。
せっかく種から大崎牛で育った牛なのだから、きちんとした付加価値をつけたい。
そんな思いから、羽子田人工授精所の羽子田幸一さんが中心になり、前田畜産の前田隆さんと喜幸さん、龍二さん親子、さらには前田さんの長男で精肉卸を営む「肉のたかしや」の前田隆博さんたちによって「大崎牛」を誕生させました。
しかし、地域が協力して意欲的なブランド牛を作ろうとしている大崎町であっても、長いスパンで見ると後継者不足で担い手が減っているという問題を抱えています。
「そうした素晴らしい食材に対して僕ができることは、それほど多くありません。それは、その食材をそのまま食べてもらったり味を上塗りしたりするのではなく、塩だったり油だったり、乳製品、他の野菜などで調和させて味を高めたりして、食材の魅力、輝く瞬間を最大限に引き出すことだと思います。料理を通じて、大崎町のこと、大崎牛のことを知ってもらいたい。レシピのなかにあるそうした大崎町へのエールを感じていただけたらうれしいです」
肥育を担当する前田畜産の前田隆さん。
(写真提供:大崎町)
繁殖を担当する前田喜幸さん。
(写真提供:大崎町)
大野尚斗●おおの・なおと
1989年、福岡県生まれ。 高校卒業後、渡米し「The Culinary Institute of America」ニューヨーク本校入学を卒業後、シカゴのミシュラン三つ星(在籍時、世界のベストレストラン50・世界9位)「Alinea」に勤務、部門シェフを務める。帰国、以後日本国内数店で研修した後、包丁1本持ちヨーロッパをバックパッカーと旅し、フランス「Regis et Jacques Marcon」(ミシュラン三つ星)、オランダ「De Librije」(ミシュラン三つ星)などで研修する。帰国後、国内有名リゾート会社で1年勤務した後、代官山「レクテ」(ミシュラン一つ星) にて勤務、スーシェフを務める。赤坂の1年限定会員制レストランにてExecutive chef を務める。2019年にスウェーデン「Fäviken」(ミシュラン二つ星)、2020年にペルー「Central」(世界のベストレストラン50の2021年版で世界4位)で研鑽。現在は、開業準備をしながらフリーランスとして活動中。
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