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「調理前」に時間をかけるアジア料理と「調理中」に時間をかけるフランス料理

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内藤千博|Ăn Đi

2017年にオープンし、東京に「モダン・ベトナミーズ」という新しいフード・カルチャーを生み出したレストランとして知られる「Ăn Đi(アンディ)」の内藤千博シェフのルーツは、じつはフランス料理にあります。

フレンチ・レストラン「レフェルヴェソンス」(2020年にミシュランガイドで三ツ星に昇格)で経験を積みスーシェフ(副料理長)として店を支えた後、もともと東南アジアやインドの料理が好きだったこともあり、Ăn Điのシェフに就任すると、フランス料理のルーツを持つ内藤シェフの個性を活かしたモダン・ベトナム料理を次々に発表。感度の高い東京の食通を魅了し続けています。

星付きレストランの「まかない」で出会ったエスニック料理

フランス料理の星付き店の元スーシェフが、なぜベトナムやタイといった東南アジアやインドの料理に惹かれるようになったのでしょうか。きっかけは、エスニック料理好きの先輩料理人が作る”まかない”だったといいます。

北参道で『リコカレー』というカレー屋さんをやっている坂本(淳)さんが、まかないでトムヤムクンやグリーンカレーを作ってくれたんです。僕は、それまで東南アジアの料理にまったく触れてこなかったので、けっこう衝撃的でした。坂本先輩がお店を出すので店を辞めることになった時に、僕は『エスニックまかないの流れを引き継ぐのは俺だな』という謎の責任感を感じて、以来、エスニックなまかないを作るようになったんです

一方「レフェルヴェソンス」では、フランス料理の技法をベースに日本の食文化の表現を目指すレストランであり、内藤シェフは、シェフの生江史伸氏の考える食材の組み合わや発酵技法などを学んでいきます。

そうした中、現Ăn Điのオーナー・ソムリエの大越基裕氏からフォーや生春巻きといったイメージが強いベトナム料理を、現地の再現ではない「東京で食べたいベトナム料理」を出す店をやらないかと声がかかります。「レフェルヴェソンスで学んだ表現を、大好きなアジア料理に置き換えてみたら、おもしろいことができるのでは」と考えた内藤シェフは、Ăn Điのシェフになることを決意します。

パーツごとに調理するフランス料理の考え方

Ăn Điのメニューは、ベトナム料理を代表するバインミーをフィンガーフードに仕立てたアミューズや、季節の野菜を包んだ生春巻き、ティーリフサラダなど、「現地ベトナムのそのままの味」を再現しようとしていません。日本のベトナム料理では見落とされがちな素材を活かす調理、たとえば生産者から直接取り寄せた食材を使ったり、それぞれに適した調理を施したりするなど、食の先端都市である東京だからこそ求められる「今、食べたいベトナム料理」を意識したメニュー作りをしているといいます。

フレンチが偉いとか、すごいとかではなくて、ベトナム料理のレシピを見ていると、もうちょっとこうしたほうがおいしくなるんじゃないかっていうポイントがあったりするんです。そういった点を、フランス料理のテクニックでフォロー出来たらな、と思っています

たとえば今回の「Ăn Đi風トムヤムクン」では、ベトナム料理でこそありませんが、文化的につながりのあるタイ料理の代表的料理とフランス料理の魚介料理「ブイヤベース」で使う技術をクロスオーバーさせた料理になっています。

ムール貝は一度鍋から引き揚げて火が入り過ぎないようにしたり、イカに隠し包丁を入れたり、丁寧にエビの背ワタを取り除いたり、鯛はフライパンで別に火入れてからスープに入れます。

しかし、タイではそこまで丁寧にやらず、魚介類は全部まとめて煮てしまいます。個別に下処理・調理したり、火が入りやすい順に時間差で入れたりするのは、料理をパーツごとに組み上げていくフランス料理らしい考え方といえます。

もちろんどちらもそれぞれのおいしさがあると思いますが、僕としては、食材が一番いい状態で食べて欲しい。それは、狙ってやっているというよりは無意識にやっているもので、フレンチをやってきた僕の今までの経験を活かしたトムヤムクンと言う方が近いかもしれませんね

別添えせず付け合わせとして盛り付けた発酵キャベツと塩レモンのマヨネーズも、主食材に対するソースとガルニチュール(付け合わせ)というフランス料理らしい仕立てにも見えてきます。

主食材とソース、付け合わせの関係によって、食べながら色々な味に変化したり、時に強いアクセントが入ったりすることで食べる楽しさが生まれる思うんです。そういったことをつねに考えながら料理を作っていますね。今回、皆さんが作る際にも、単体として発酵キャベツやマヨネーズを付けていることも大事ですが、あくまで食べるときのリズムを生むためのものであるという前提で見ていただけると、どんな味付けをすると料理全体に効果的なのかというようなことも見えてくるかと思います

忙しい都市生活者にこそ発酵生活を

内藤シェフが、とくに最近取り入れているのが発酵食材です。今回も発酵調味料だけでなく自家製の発酵食材を使うなど、その存在が大きいレシピです。

そもそも保存食として発達した発酵食には、食べ物がなくて困っていた昔の人の経験や知恵が詰まっています。しかし今は、飽食の時代で食べ物があまっているような世界でもあります。一方で飢餓に苦しんでいる国や地域もあり、その格差も問題になっていますよね。料理人ができることはとても小さなことですが、使い道をなくした食材を使えるようになりたいという思いがあります。そうした食材の救済方法として発酵は有効だと思っていて、捨ててしまうんだったら、塩漬けにして長い期間使えるようにした方が使える場面が増えると思うんです

発酵食材には、発酵によって生まれる個性的なうま味と酸味、塩味があります。さらに、日本を含めた東アジアから東南アジアという広範囲における代表的な食文化でもある。今回のレシピでも、ヨーロッパの料理では、スープは長時間煮込んだりする必要がありますが、東南アジアの発酵食品や発酵調味料を駆使することで、うま味や塩味、酸味のバランスをとり、短時間で素早く仕上げているのが印象的でした。

普通の水に塩味と酸味を加えてもまったくおいしくならないように、料理にうま味はとても大事な要素です。そのうま味をどこから持ってくるかというのが国や地域ごとの料理文化になるのかなと思っています。今回のレシピもたとえば魚のアラとかで、ブイヤベースのように時間をかけて出汁をとることもできるのですが、それだとフランスの食文化になってしまいます。それよりも東南アジアらしく、うま味のある発酵調味料を重ね合わせてスープを作りたい。その方法でやるとすごく時間が短縮できことに気付きます。発酵調味料全般は、作るまでに発酵期間が長くて手間と時間がかかるわけですが、その分料理するときはすぐに味が決まる。結局はどこで時間を使うかということなので、おいしくするための相対時間はかわらないのかもしれないですが、調理時間が短かいのは東南アジア料理のポイントですよね

こうした発酵食品の使い方を覚えれば、素早く料理を作りながらも、しっかりうま味のある料理を作ることができます。なかなか普段の食卓に東南アジア料理がのぼりませんが、今回の内藤シェフのレシピで知った発酵調味料や、自家製する発酵食品などをうまく取り入れれば、毎日の献立作りのハードルも低く少なくなるのではないでしょうか。忙しい都会で暮らす人たちのライフスタイルのなかでひとつの選択肢になるはずです。

内藤シェフのが提案するモダン東南アジア料理のなかから、あなたらしい生活の知恵を見つけてみるのもよいかもしれません。

内藤千博●ないとう・ちひろ
1983年、埼玉県出身。調理師学校を卒業後、西麻布「サイタブリア」で腕を磨いた。その後、系列のフランス料理店「レフェルヴェソンス」に移り、シェフの生江史伸氏の薫陶を受ける。とくにレフェルヴェソンスがテーマにした日本の食材や発酵技術を用いる技には大きな影響を受けた。その後、同店のペアリング監修を務めていた大越基裕氏と出会いモダン・ベトナミーズの「Ăn Đi」に参画する。Ăn Điは2017年にオープンし、内藤氏本人は2018年春に半年遅れて加わり、シェフに就任した。
店舗サイト:http://andivietnamese.com/
Instagram:https://www.instagram.com/naitochihiro/

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