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米澤文雄|The Burn
ビジネスだけでなくエンターテインメント、カルチャーの最高峰として、多くの人が成功を夢見るニューヨーク(NY)で、レストランもまたラグジュアリーでハイエンド、そしてミクスチャーな新しい価値を提案し続けています。この世界一刺激的な街で米澤文雄シェフは、22歳から6年間料理人として働き、当時三つ星のレストラン「ジャン-ジョルジュ」では、スーシェフ(副料理長)を務めて世界中のVIPを相手に料理を作ってきました。
帰国後は、「ジャン-ジョルジュ東京」のシェフなどを歴任。現在は青山一丁目「The Burn」のエグゼクティブシェフだけでなく、持続可能な社会を目指す取り組みへの積極的な参加や、ヴィーガン食の提案など、米澤シェフのキッチン外での活躍は、シェフの社会との関わり方に新しい可能性を感じさせます。
キッチンから飛び出して活躍のフィールドを広げる米澤シェフの根幹にあるNYでの時間に、実はスパイスの思い出も関わっていました。
師・ジャン-ジョルジュ氏が好きだったアジアのスパイス
NYから日本に帰国した米澤シェフのもとにある日、連絡が入ります。連絡の主はNY「ジャン-ジョルジュ」のグランシェフ、ジャン・ジョルジュ・ ヴォンゲリスティンさんでした。「東京に支店を出す。その店のシェフは文雄しかいない」、尊敬する師からのオファーでした。
「声をかけてもらえて嬉しかったです。20代の前半にNYに行って、がむしゃらに働いていた中で、その結果スーシェフというポジションを獲得しました。だからこそ得たものっていうのは、今までもこれからも料理人人生としてすごく大きな影響を受けているのは事実だと思います。だけど思い返すと、ジャン-ジョルジュさんやまわりのシェフたちと飲みに行ったりとか、すごくおもしろい時間でしたね」
ジャン-ジョルジュさんとは料理の話以外でも、世界的なビジネスや経済の話にまで話が広がることもあったそうです。偉大なるシェフの経験を本人の言葉で聞けることは、大きな宝になっていると米澤シェフいいます。
「時にはくだらない話をすることもありまたしね(笑)。ジャン-ジョルジュさんがNYにくる前の話をしてくれることもありましたよ」
1957年、フランス生まれのジャン-ジョルジュさんは、「オーベルジュ・ド・リル」のポール・エーベルラン氏やリヨンのポール・ボキューズ氏といった伝説的なシェフの元で働き、フランス料理のど真ん中で仕事をしてきました。その後1980年代には、バンコクやシンガポール、香港といった都市でのホテルの立ち上げに参画し、フランスでもかなり早い段階からアジアの食文化に触れてきたシェフの一人です。
「アジアで衝撃を受けたという話はよく聞いていました。『タイ行ったら、水にエビのペースト(カピ)とニンニク、ショウガ、たくさんのハーブを入れて沸した魔法のようなスープができた。なんなんだこの料理は?と驚いた』っていうのがトムヤムクンだった、みたいな話です(笑)。その時にジャン-ジョルジュさんは、フレッシュスパイスに魅了されたそうで、時々まかないで東南アジアの料理を作ってましたね」
今でこそ「フュージョン料理」が市民権を受けているが、話は今から40年以上も前。それからジャン-ジョルジュさんはNYに渡り、多民族都市の中でエキゾチックなフランス料理を創り出すシェフとして注目を集めることになります。未知の食材をポジティブに捉えて、オリジナリティに変換してしまうフレキシブルな精神を、米澤シェフは大いに受け継いでいるようです。
スパイスの使い方は料理人の好みが出やすい
「NYでは、まかないでカレーを作っていたこともありましたが、ルウを使った日本風カレーばかりでしたね。その方が、みんなよろこんでくれたので。ジャン-ジョルジュさんが好きだった東南アジアのスパイスは、ハーブとか果実を使うようなフレッシュスパイス。今回のポークビンダルーのように種子や葉をスパイスとして使うドライスパイスのカレーは、実は日本に帰ってきてから学んだものなんです」
もともとスパイスが好きだった米澤シェフは、自分でカレーの本を買って作ったり、スパイスの調香師であるシャンカール野口さんのスパイスの勉強会に参加するなどして、スパイスカレーを独学で学んできたといいます。
「カレーって、じつは料理人の個性が出やすい料理なんですよ。ヨーロッパの料理のように作り方に決まりがなくって、けっこう自由に手順やスパイスを変えたりできるので。僕は、シャンカールさんのレシピを基本にしながらも、他の人のやり方を組み合わせたりしているので、そういう点は料理人にとって楽しい料理ですよね」
そのなかでも今回の「ポークビンダルー」は、大好きなカレーのひとつだそう。もともと酸味がしっかりあるカレーですが、独特な酸味をもつマンゴーパウダーを選んで使うところは「酸味に敏感な自分らしい」とレシピのポイントを説明します。
「スパイスだけでなく、お肉や野菜の扱い方、酸味のバランスなどの基本が詰まったレシピですので、次回はスパイスや食材を少しづつ変えてアレンジしていってもいいと思います」
米澤シェフ、コックコートが汚れないのはなぜ?
ところで私たちシェフレピスタッフが取材をしていて気付いたことがあります。カレーをイチから作ったのにもかかわらず、米澤シェフのコックコートがまったく汚れていないことです。さて、どうしてなのでしょう?
「そうなんです僕、汚れるの嫌いなんですよね(笑)。あとは火傷するのも嫌い。だから、汚れないように、火傷しないように気をつけるんです。ほら、手に火傷のあとないでしょう?」
レシピ動画を見るとわかりますが、米澤シェフが使うまな板の周りはつねに整頓されています。ダスター(布巾)もきれいに畳んで使いやすい場所に置かれ、素材に触れた手をコックコートの裾ではたくようなこともしていません。汚さずきれいに仕事をすることは、ジャン-ジョルジュさんに叩きこまれたことだと、米澤シェフはいいます。
「コックコートが汚い人は、一生懸命仕事してるんじゃなくて仕事が汚いだけだ。だから汚すなってめちゃくちゃいわれました。ほかにも、鍋とか落とすと『シッ!』っていわれて。鍋をそんなに落とすやつは料理が下手っていわれるような、かなり厳しい環境だったと思います」
汚れていたり整理されていなければ、次の仕事は掃除や整理から始めなければいけない。しかし、汚れがなく整理されていれば、すぐに仕事に取り掛かれる。「そんなNYでの経験がいまだに抜けなくて。スマートに仕事ができないうちは仕事が遅かったり、手順を飛ばしたりしてしまうので、おいしい料理ができないと今でも思っています」という米澤さん。
作り方はもちろんですが、仕事の仕方に注意して動画を見てみると、シェフのおいしさの理由が見えてくるはずです。米澤文雄●よねざわ・ふみお
高校卒業後、恵比寿のイタリアンレストランで4年間修業。2002年に単身でNYへ渡り、三ツ星レストラン「Jean-Georges」本店で日本人初のスー・シェフに抜擢。帰国後は日本国内の名店で総料理長を務める。「Jean-Georges」の日本進出を機に、レストランのシェフ・ド・キュイジーヌ(料理長)に就任。2018年夏、The Burn料理長就任。主な受賞歴に、2013年アメリカ大使館「Taste of America」日本大会優勝、2015年「RED U-35」大会ゴールドエッグ受賞。The Burn 公式ホームページ:http://salt-group.jp/shop/theburn/米澤シェフInstagram:https://www.instagram.com/yone_asakusa/?hl=ja米澤シェフTwitter:https://twitter.com/yone_asakusa